批判覚悟で中国を称賛 WHO事務局長テドロス・アダノムの苦悩と思惑
人種差別や殺害予告まで
加盟国に対するWHOの影響力は限られている。加盟国の許可なしに入国する法的な権限はないし、強制力もない。したがって、テドロス氏が行使できる主な手段は、2005年に合意した国際保健規則の枠組みを順守するよう、加盟194カ国を政治的に説得することとなる。
テドロス氏は、韓国、イタリア、イラン、日本など、新型コロナウイルスと闘う複数の国の政府を称賛。3月30日には、トランプ氏の娘で大統領補佐官のイバンカ氏が米国の緊急対策法案について書いた記事を評価し、「非常に良い記事だ」とツイートした。
トランプ氏は当初、中国と習国家主席の危機対応を繰り返し褒めたたえてきた。しかし、3月中旬ごろになると、北京のウイルス対応への批判を強めるようになり、中国政府は世界に警告するためにもっと早く行動すべきだったと指摘した。
当時、新型コロナウイルス検査の対象拡大の遅れを含め、トランプ政権のパンデミック対応は広く批判されていた。新型ウイルスが何万人ものアメリカ人の命を奪い、米国経済に打撃を与える中、今年の大統領選で再選を目指すトランプ氏は、自身の対応を断固として擁護している。
一方で、米国などは加盟各国が適切なタイミングで正確な情報共有するよう、強力な声明を出すべきだとWHO指導部に圧力をかけてきた。「WHOはそうした懸念に対応しなかった」と、西側外交筋は話す。
米国のジュネーブ国連大使で元ホワイトハウス高官でもあるアンドリュー・ブレンバーグ氏がテドロス氏と定期的に会談し、WHOの対応について議論し、懸念を伝えていたと、欧州の外交官2人は証言する。
WHOは声明の中で、テドロス氏は加盟国間の国際規則に基づき情報を共有するよう、すべての国に求めているとしている。
4月7日、トランプ大統領はWHOが中国寄りで、新型ウイルスに関する世界への注意喚起が遅すぎたとして、資金拠出を停止すると警告した。
米国はWHOの最大の資金拠出国であり、この脅しは「手痛い」ものだ。WHOによると、米国は2021年12月までの2年間で、義務的拠出金と任意拠出金を合わせて5億5300万ドル(約592億円)を拠出することになっている。すでに承認済みのWHOの予算58億ドルの9%に相当する。中国の拠出額1億8750万ドルの3倍近くに相当する。
テドロス氏は翌日の定例記者会見で動揺した様子を見せ、「人種差別的」な発言や殺害予告まで受けていたことを明かし、記者からの質問に長々と熱心に答えた。
1週間後、トランプ大統領は資金拠出の凍結を発表した。
加盟国は通常、義務的拠出金と任意の拠出金を通じてWHOに貢献している。別の米政府高官によると、米政府は20年の義務的拠出金1億2200万ドルのうち、すでに半分近くを支払い済みという。同高官によると、今回のトランプ氏の凍結措置により、米政府は残りの6500万ドルの義務的拠出金と3億ドル以上の任意拠出金を、他の国際機関に振り向ける可能性が高いという。
米国の資金拠出停止によってWHOが受ける打撃は、政治的なものの方が大きいと、2人の欧州外交官は指摘する。現行動いているプログラムは、資金の手当てが当面できているためだ。しかし、長期的にはポリオやエイズ対策、予防接種など、米政府の拠出金で支えられているプログラムに影響が及ぶ可能性があるという。
「WHOとテドロス氏にとっては大きなダメージだ」と、WHO関係者は語った。