対イラン開戦論の危うい見通し
War with Iran Would Be Worse Than Iraq
制裁の強化でイラン経済が干上がれば、対話に関心を示す可能性はある。それでも首を絞められて、その相手に美辞麗句を並べた親書を送るはずがない。そんなことは不可能だ。
何しろイラン国民の識字率は高い。そして都市部の住民の多くはインターネットや衛星テレビを使っている。もしもイランの指導者がトランプに「素敵な親書」を送れば、国民はすぐにその事実を知る。「アメリカは悪魔」で「トランプは脅威だ」と叫んでいた指導者がアメリカにすり寄ったと知れば、国民はその指導者を信用しなくなる。
ちなみにイランは、バラク・オバマ前米大統領にすり寄ることもなかった。当時のジョン・ケリー米国務長官との核交渉は、穏やかとはいえ実務的に進められ、時には激論もあった。
それでもトランプが本気でイランの大統領なり外相なりと話したいなら、(たぶん遠回りになるが)実現の道がなくはない。ただし彼らと親友になれるとか、親友のふりをしてもらえると期待するのは大きな間違いだ。
次に開戦論だが、コットン議員らはイラク戦争の教訓を覚えていないものとみえる。
03年にブッシュ政権がイラク侵攻作戦を立案した頃は、誰もが「楽勝」を信じていた。当時のトミー・フランクス米中央軍司令官は、歩兵部隊の配備が間に合わないのを承知で侵攻を3月に前倒しするよう進言していた。猛暑の夏が来る前に米兵を帰還させたいと考えたからだ。その後、米軍はイラクで9回の夏を過ごし、戦死者4424人、負傷者3万1000人以上という犠牲を払わされた。
しかもイランとの戦争はイラクより厳しいものになる。イランの面積はイラクの3.7倍、人口は倍以上。地形的にも平坦なイラクと違って起伏が激しく、山岳地帯が多い。
イラク侵攻時に最も恐れられていたのは、首都バグダッドでの市街戦だった。実際は米軍が到着する前にサダム・フセイン大統領が逃亡し、警察も軍隊も崩壊。支配階級のエリート層も四散したため、杞憂に終わった。
イラン人、特に都市部の住民が現政権を嫌っているのは事実だが、彼らは侵略者を忌み嫌う。かつて民主的に選ばれたモハンマド・モサデク首相がCIAとイギリスの陰謀で倒され、親米の王政が復活した1953年の記憶はまだ生々しい。
だから、彼らが米兵を解放者として歓迎する可能性は低い。おそらく最後は首都テヘラン市内で、長く、血なまぐさい戦いになるだろう。