国際秩序を脅かすアサンジは法で裁かれるべきだ
Julian Assange: A Life Above the Rule of Law
アサンジは法より自分が正しいと信じ込んできた(ロンドンの在英エクアドル大使館のバルコニーで。2017年5月19日) Peter Nicholls-REUTERS
<「透明性」の名目の下に、法を無視し、ロシアの協力者となったアサンジは民主的秩序の敵として法で裁かれるべきだ>
4月11日にロンドンで「ウィキリークス」の創設者ジュリアン・アサンジが逮捕されたことは、「法の支配」の勝利だ。誰かが、気に入らない政府や個人を「崇高な」イデオロギーと「透明性」の名の下にさらそうとするとき、アサンジもその同類たちも、恩恵よりはるかに大きな災厄をもたらしてきた。
個人、企業、そして政府には、デジタル時代のルールと法律の範囲内で活動を営む権利がある。それ以外の活動は犯罪か、スパイ活動、または情報戦争だ。個人であろうと国家であろうと、保護されるべき機密情報を尊重することは、社会を機能させる上で不可欠だ。誰のデータが尊重に値するか否かを決めるのが自分の使命と思い込んだ人間は、誰にとっても危険な存在となる。次に誰が標的になるか、わかったものではない。
国際的な情報の暴露によって不正が明るみに出る。だから目的は手段を正当化する、とアサンジは信じ始めていたかもしれない。彼がどこから始めたにせよ、彼は、ロシア政府と共謀して2016年の米大統領選挙で不正を行った容疑者として裁判官の前に立たされる身だ。
ロシアの手先として法廷に
アメリカのイラク介入とアフガニスタンでのタリバンの追放に反対する多くの人々の仲間としてアサンジは活動を開始したのかもしれない。だが、彼が法廷に引き出されるのは、米軍人を危険にさらす試みに手を貸し、アメリカの最も高性能な情報通信収集ツールを暴露し(だがロシアには同じことはやらず)、世界中からアメリカの外交的地位を損なうために活動する人間とみられているからだ。
彼は、西側、ヨーロッパ、民主主義、法の支配、そしてアメリカの敵対者として、またロシアの仲間で手先だという疑いの下、裁判官の前に立つ。
エクアドル政府がなぜ、アサンジに与えた外交特権を剥奪しイギリスの法執行機関に引き渡すことに同意したのか、国際社会が具体的にどんな動きをしたのか、詳しいことはまだわかっていない。
わかっているのは、アサンジをロンドンのエクアドル大使館に匿うという2012年の決定をエクアドルが覆したがっていたこと、複数の国がアサンジを裁判にかけるために正式な引き渡し要求を提出し、国際法執行および外交面での協力を進めたことが、この結末を可能にしたということだ(アサンジがやった一方的な行為を考えれば、イギリス政府は軍隊の力でエクアドル大使館を制圧することもできたのだが)。