【実話】東西冷戦の代理戦争の舞台は、動物園だった
外国メディアにも取り上げられ、世界的に人気を博したベルリン動物園のスター、ホッキョクグマのクヌートとその飼育員(2007年撮影、クヌートは2011年に死去) Arnd Wiegmann-REUTERS
<娯楽に溢れた現代でも、人は動物園が大好きだ。なかでも「動物フリーク」の市民が多いドイツのベルリンに、かつて2つの動物園があり、2人のカリスマ園長がいた>
2017年に誕生したメスのジャイアントパンダ、シャンシャン(香香)の人気のおかげで、東京・上野動物園の来園者数が大幅に増えているという。ベルリンの動物園でも、昨年12月に生まれたばかりのホッキョクグマの赤ちゃんの愛らしさが話題をさらっている。
これほど娯楽に溢れた現代でも、人は動物園が大好きだ。だがドイツのベルリンは、世界のどの都市と比べても特別に市民が「動物フリーク」なのだという。世界的な人気者になったホッキョクグマのクヌートが2011年に亡くなった際には、動物園の正面入口が花束とカードとぬいぐるみで埋め尽くされたほどだ。
そんなベルリンで、しかも冷戦下の分断された東西ベルリンにおいて、それぞれの町のシンボルになった2つの動物園がある。そこには、ライバル心を剥き出しにして競った2人のカリスマ園長がいた。
『東西ベルリン動物園大戦争』(ヤン・モーンハウプト著、黒鳥英俊監修、赤坂桃子訳、CCCメディアハウス)は、東西の代理戦争の舞台にもなった2つの動物園と、そこで活躍した「動物園人」たちの奮闘を描いたノンフィクションだ。
絶対に負けられない戦いが、そこにあった
物語の主人公は、東西ベルリンにある2つの動物園の、2人の園長。西ベルリンのベルリン動物園園長、ハインツ=ゲオルク・クレースと、東ベルリンのティアパルク(「動物園」の意)園長のハインリヒ・ダーテだ。
2人は共に、ドイツが敗戦国となった後でベルリンにやって来て園長となり、それぞれの動物園のために人生をかけて奔走した。それはまさに、国の威信をかけた戦いでもあった。彼らはゾウや希少動物の数を競い合い、互いに存在感を誇示しようとした。
「どっちかがミニチュアロバを手に入れると、もう片方はポワトゥーロバを購入するといった感じでしたよ」(14ページ)
彼らが躍起になったのには理由がある。2つの動物園は、どちらも市民に愛された娯楽施設であり、町のシンボルでもあったが、それと同時に、2つの異なる社会体制のシンボルでもあったのだ。だからこそ、東ではメガネグマのために秘密警察が金を出し、西では首相自らパンダ獲得に乗り出した。
ドイツ初の動物園という歴史と伝統を持つ西のベルリン動物園(1844年開園)は、熱心な動物収集家だったクレース園長の下、各地から多くの動物をかき集めた。彼はどうしても、東ベルリンのライバル動物園にゾウの数で勝りたかったという。動物園の世界では、ゾウは特別な存在なのだ。
また、当時の西ベルリン市長は、東の動物園に負けたくないというだけの理由で、新しいゾウを入手するための財源を工面した。そうした努力の甲斐あって、ベルリン動物園は、戦時中の空襲による大きな被害を乗り越え、世界中の動物園の中でも最も多くの種が揃う動物園に返り咲いた。