【実話】東西冷戦の代理戦争の舞台は、動物園だった
人より動物を愛する「動物園人」たちの悲喜劇
一方のティアパルクは、その存在意義からして西を意識している。戦後のベルリンは、西半分を米英仏が、東半分を旧ソビエトが支配したが、戦前から市民の憩いの場だったベルリン動物園は西側にあった。そこで、西に負けない動物園を東にも、ということで誕生したのがティアパルクだ。
ダーテはその初代園長であり、飼育員の研修制度を整えるなど、新しい動物園のあり方を築いた人物として、現在でもその功績が知られている。著名な動物学者でもあり、「単なる獣医」に過ぎない西ベルリンのクレースのことは明らかに見下していたという。
だが、東には東の問題がある。ベルリン動物園の3倍を誇る面積を持ち、動物たちを檻の中に閉じ込めることなく、間近で見られるように工夫された展示は各方面から賞賛されたものの、社会主義という体制ゆえ、計画はすぐには実行されず、常に道半ばの状態だった。
そんな不満が思わず漏れたのか、ベルリン動物園が新しく購入した新しいゾウをお披露目する席に招待されたダーテは、ゾウが「少し貧相に見える」とケチをつけた。当然、クレースが黙っているはずがない。かくして、いい歳をした2人の園長は、ゾウの間で言葉の応酬を続けたという。
東西ベルリンの動物園に「ボスジカ」として君臨したクレースとダーテには、大きな共通点があった。2人とも根っからの「動物園人」だったのだ。つまり、人よりも動物相手のほうがうまくやっていけるタイプの人間だったということだ。
彼ら動物園人が真っ先に考えるのは動物園のことであり、その他のことは、家族も含めて全て二の次。本書によれば、「動物園が家族で、妻と子どもはおまけみたいなもの」らしい。2人の園長は文字通り、一生を捧げる使命として「動物園園長」という任に当たっていた。
市民は食糧不足の中、カバのためにキャベツを提供した
2つの動物園は、時に政治の駆け引きの舞台にもなったが、何よりも動物園のことを考える園長たちは、自分たちの動物に関係があるときだけ政治に興味を示したという。本書には、この2人以外にも、個性溢れる「動物園人」たちが多数登場する。
だが、動物園と動物を愛してやまないのは、動物園人だけではない。東西に分断されていたという状況だけでなく、ベルリン市民と動物園の特殊な関係性もまた、この物語の重要な土台を形作っている。ベルリン出身の動物園人(別の動物園園長)は、こう語っている。
大都会の人はだいたいそうですが、特にベルリン市民は人間なんかより動物を愛しているんです。(11ページ)
東西どちらの市民も「自分たちの動物園」を誇りに思い、動物たちに強い愛情を持っていた。多くの人が、食糧不足の中で自分たちが食べる分を切り詰めてでも、市民のスターだったカバのためにキャベツを提供したという。ベルリンでは、市民みなが「動物園人」なのかもしれない。