最新記事

サイエンス

暴走する中国ゲノム研究

China’s Bioethics Struggles Enter the Spotlight

2018年12月6日(木)17時00分
マーラ・ビステンダール(サイエンスライター)

HIVはこの基準には当てはまらないと、多くの専門家は指摘する。父親がHIV感染者であっても子供に感染するリスクは低い。しかも賀が行ったと主張する遺伝子操作で西ナイル熱や日本脳炎など他のウイルスに感染しやすくなる可能性もある。

クリスパーの開発者の1人、マサチューセッツ工科大学のフェン・チャン教授は賀の発表に危機感を抱き、この技術でデザイナーベビーを誕生させる研究を一定期間禁止すべきだと声明を出した。

数年前から欧米の事情通の間では、デザイナーベビーが生まれるとしたら、それは中国だろうとささやかれていた。儒教の伝統もあって、中国では個人よりも親族など集団のニーズが重視される。受精卵や胚の遺伝情報の扱いには倫理的配慮が求められるという意識も希薄だ。また中国の医療・研究機関では、患者や被験者にリスクとメリットを十分に説明した上で同意を得るインフォームドコンセントがきちんと行われていない。

しかも「優生優育(優れた子を生み、優れた子に育てる)」を柱とする「一人っ子政策」の歴史がある上、親となるカップルよりも研究者や国家の都合が優先される。中国には賀のようなスタンドプレーが生まれる条件がそろっているのだ。

賀からメールをもらった13年、私は広西チワン族自治区の病院を取材した。チワン族にはβサラセミアという遺伝性の血液疾患が多く、この病院では大規模な遺伝子スクリーニングを実施していた。カップルの遺伝子を検査して、この病気の子供が生まれる確率を調べ、カウンセリングを行う。

それだけならいいが、既に妊娠している場合は出生前診断を実施し、胎児にこの病気を引き起こす遺伝子変異が見つかれば、人工妊娠中絶を強く勧める。

私は待合室にいたカップルに話を聞いた。彼らは自主的にプログラム参加を決めたと話していたが、どの程度趣旨を理解しているかは怪しいものだった。中国人は長年の人口制限で政府が生殖に干渉することに慣れっこになっている。そんな状況で少数民族を対象に優生学的な色合いを持つプログラムが実施されるとなると、当人たちが納得しているかはかなり疑わしい。

この取材の経験があったから、15年に広州の中山大学の研究チームがβサラセミアを引き起こす遺伝子変異をクリスパーで修正する実験を行ったというニュースを知ったときも私はあまり驚かなかった。中山大学チームが使ったのは生存不能の受精卵で、結果は完全な成功とは言えなかった。それでもこの研究が、賀が成功したと主張する実験に道を開いたのは確かだ。

「同胞として恥ずかしい」

賀が被験者の同意を得るために作成した文書では、この実験は「エイズワクチン開発プロジェクト」の一環とされ、受精卵に行う操作の説明には専門用語が多用されている。

不都合な点を曖昧にした専門用語だらけの文書を見せられたら、よく読みもせずに同意する人もいるだろう。そんなやり方で被験者を募れるなら、野心的な研究者が、世間をあっと言わせる実験をして一躍有名になろうとしても不思議はない。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

鉱工業生産2月は4カ月ぶり上昇、基調は弱く「一進一

ビジネス

午前の日経平均は大幅続落、米株安など警戒 一時15

ワールド

ハマスへの攻撃続けながら交渉している=イスラエル首

ワールド

米関税、日米貿易協定の精神に鑑み疑問なしとしない=
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者が警鐘【最新研究】
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    「炊き出し」現場ルポ 集まったのはホームレス、生…
  • 5
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 6
    メーガン妃のパスタ料理が賛否両論...「イタリアのお…
  • 7
    3500年前の粘土板の「くさび形文字」を解読...「意外…
  • 8
    突然の痛風、原因は「贅沢」とは無縁の生活だった...…
  • 9
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 10
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大…
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 7
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 8
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中