アメリカ企業でセクハラが続く理由
これについて司法が判断を示したのは98年になってから。上司が部下に代償型セクハラをした場合は、企業にも賠償責任があるとされた。ただし環境型セクハラについては、以下の2つの点を立証できれば使用者は賠償責任を免れられる。第1に、雇用主が合理的に見て十分な対策を講じたこと。第2に、被害者が不合理な理由でその仕組みを利用しなかったこと。
雇用主に積極的にセクハラ対策を取らせることを意図した司法判断だが、現実には責任逃れを許す結果となった。
雇用主が形式的な調査をしただけで、多くの裁判所は「合理的に見て十分な対策を講じた」と見なす。そのため雇用主は被害者・加害者双方の話を聞き、セクハラかどうか判断できないと結論付けて調査書を作成する。そうしておけば被害者が訴訟を起こしても、その調査書を提出するだけで、雇用主は実質的には何もしていないのに賠償責任を問われずに済む。
セクハラを防ぐ法的枠組みには、もう1つ重大な欠陥がある。訴訟のプロセスで、加害者ではなく被害者が「渦中の人」にされることだ。裁判所はセクハラ被害を訴える本人に事細かな事情聴取をする。差別に関するほかの裁判ではこうしたことはなく、セクハラの場合だけだ。
米自由人権協会(ACLU)の女性の権利プロジェクトの上級スタッフ弁護士、ジリアン・トーマスは「根掘り葉掘り詮索されることを恐れて、被害者は告発に二の足を踏む」と、本誌に語った。「申し立てをすることで質問攻めに遭うのが怖いのだ。ためらうのも当然だ」
トーマスによれば、被害者が不利になる点がもう1つある。公民権法第7編に違反したと判断されるには、被害者がセクハラに「不快感」を抱いていなければならない。加害者に1度でも軽口をたたいたら、「嫌ではなかった」と判断される。早い話が「セクハラされるほうが悪い」という理屈がまかり通る。
シリコンバレーも男社会
さらに状況を悪化させたのは「バンス対ボール州立大学」訴訟で連邦最高裁が13年に下した判決だ。上司のセクハラで大学側に損害賠償を求めた女性職員の訴えは5対4で退けられた。
保守派のサミュエル・アリート判事は、「上司」は人事権を持つ人物に限定されるという解釈を示した。そうなると、人事権のない人物からのセクハラでは苦情申し立てが難しくなる。
リベラル派のルース・ギンズバーグ判事は少数意見で、「社内にセクハラの常習者として知られる人物がいても、誰かが苦情を申し立てて上層部まで話が伝わらなければ、企業は監督責任を免れられる」と指摘した。