トランプ政権の最後のとりでは3人の「将軍たち」
40~50年代のジョージ・C・マーシャル、21世紀の変わり目のコリン・パウエル(共に元国務長官)など、ホワイトハウスでは昔から退役将軍が大きな影響力を振るってきた。しかしマティス、マクマスター、ケリーの3人組ほどの影響力を行使して大統領に助言する例は過去にない。いずれも軍人として、学者として輝かしい名声を持つ。
コーエンが04年にイラクへ飛び、マティスに会ってマルクス・アウレリウスの『自省録』の最新英訳版を進呈したときのこと。受け取ったマティスは「さっそく蔵書から他の2つの翻訳版を取り出し、15分もかけて比較検討していた。そのうちの1冊はラマディの戦場に持参したものだった」という。
マティスは国防大学で国際安全保障の研究で修士号を取得した。コーエンに言わせれば「学ぶことをやめたことがない人間」で、蔵書は一時7000冊に達していたとされる。
一方、マクマスターは97年に発表した著書『義務の放棄』で、ジョンソン政権下のベトナム戦争における米軍の意思決定の欠陥を論じている。そこから、大統領の意向がどうあれ、大統領には常に最善の情報を伝えるべきだという教訓を引き出し、補佐官という立場で日々それを実践している。ケリーもジョージタウン大学で安全保障を研究して修士号を取得。その後、中佐時代にも国防大学で2年を過ごした。
しかし、この3人の将軍たちを結び付け、彼らの世界観を形作ったのはイラクにおける共通の経験だ。
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マティスがイラクに上陸した米軍を率いていたとき、ケリーは副官として、この上司の冷静沈着な判断ぶりを目撃している。例えば首都バグダッドへの侵攻中、ケリーはナシリヤの町の攻略を渋る連隊長に手を焼いて、マティスの指示を仰ぐよう命じた。するとマティスは連隊長の弁明を聞いた後、即座に彼を解任した。ナシリヤは落ち、すぐにバグダッドも陥落した。
その後、マティスは戦車と砲兵を引き揚げさせ、現地のイラク軍指揮者たちを訪ね、こう告げた。「今さら争うつもりはない。武器も置いてきた。だから、頼むから私の願いを聞いてくれ。ふざけたまねをするな。すれば1人残らず殺す」
マティスとケリーは共に労働者階級の出で、海兵隊に入隊した。少年時代のマティスはかなりのワルだったが、海兵隊に入って人が変わったという。
一方のマクマスターは若い頃から軍人を目指していた。軍隊系の高校に学び、陸軍士官学校に進んだ。湾岸戦争中の91年には戦車9台の部隊を指揮し、自軍は1台の損失も被ることなく、23分でイラク側の戦車28台を破壊した。この戦闘は今、陸軍士官学校の教材となっている。
その15年後、マクマスターはイラクの町タルアファルで非常に効果的な制圧作戦を指揮した。後に米軍司令官デービッド・ペトレアスが「増派」作戦のモデルとした戦いである。
ケリーのキャリアの頂点は、中南米と西インド諸島の米軍を指揮する南方軍司令官。この時、彼は不法移民がもたらす安全保障上のリスクに敏感になった。そして国境の開放や、不法移民を受け入れる都市を支持する政治家への嫌悪感を隠さなくなった。