重慶市民、犯罪一掃した薄煕来を慕う 「遺産」に警戒強める中国

7月26日、中国重慶市の市民は、同市共産党トップであった薄煕来氏(写真)について、法と秩序を改善し、経済を加速させ、荒廃した旧市街を活性化させた意欲的な指導者として、好意的に記憶している。北京で2010年3月撮影(2017年 ロイター/Jason Lee)
揚子江河岸にあり、人口3000万人以上を擁する高温多湿の都市、重慶の共産党トップであった薄煕来氏がその地位を追われたのは、もう5年以上も前のことだ。
現在、同氏は投獄され、汚名を被っている。だが、今も敬意を込めて薄氏のことを語る市民を見つけるのは簡単である。
対照的に、党中央から「薄氏の影響力と遺産を重慶市から排除しなかった」ことを批判され、同じく重慶市党委員会書記の地位を7月に失った孫政才氏については、そのような敬意を示す市民はなかなか見つからない。
人々は薄氏のことを、法と秩序を改善し、経済を加速させ、荒廃した旧市街を活性化させた意欲的な指導者として、好意的に記憶している。
「薄氏は市内の法と秩序という点で素晴らしい仕事をした」と語るのはTan Hepingさん。重慶の名物ではあるが数が減りつつある、竹竿に荷物をくくりつけて市内の急坂を運ぶ「棒棒」と呼ばれる労働者の1人である。「孫氏にはそのような印象はまったくない。薄氏とは比べものにならない。何かやってくれたとも思えない」
薄、孫の両氏とも、トップ幹部が集まる中国共産党全国代表大会(党大会)の数カ月前に失脚した。党大会は5年ごとに開催され、党指導部の主要な人事を承認する。孫氏は、薄氏失脚後の中継ぎとして8カ月だけ重慶市党委員会書記を務めた党トップ幹部・張徳江氏から2012年11月にその地位を引き継いでいた。
2012年の党大会では習近平氏が国家指導者として承認されたが、今秋の党大会では、習氏が支持者を指導部の要職に配することによって権力基盤を固め、結果的に、後継計画の策定においても発言権を強化するという観測が広まっている。
トップ争い
薄氏はテレビ映りもよく、中国の同世代のなかでは最もカリスマ性のある政治家の1人とされ、指導部トップの座を目指す有力候補と見られていたが、2012年に大きな話題を呼んだ汚職スキャンダルで失脚し、薄氏の妻も英国人ビジネスマン殺害の容疑で投獄される結果となった。
薄氏の高い人気、冷酷で野心的な振る舞い、個人主義的な性格は、当時のトップ官僚のあいだで、党中央指導部に対する潜在的な脅威と見なされていた。
薄氏は、西側スタイルの大衆受けする魅力と毛沢東時代のプロパガンダ戦略を組み合わせることで、党中央によるメッセージ発信に頼らずに自らのブランドを確立。官僚の腐敗に対する人々の怒りを利用して、彼はもっとシンプルで伝統的な中国的価値観への回帰を採り入れ、数万人の参加者が革命期の愛国歌を口ずさみ、膨大な数の赤旗を振るといった大衆行動を組織した。
腹心だった警察トップの王立軍氏と組んだ薄氏は、重慶市に深く根を張った犯罪組織を一掃する派手なキャンペーンを展開した。