生まれ変わった異端のダンサー、ポルーニンの「苦悶する肉体」
だが、そんな至福の時はごくわずかだ。「舞台に立つのはいつも闘いだ。自分の感情との闘い、疲れとの闘い、怒りやいら立ちとの闘い」と、ポルーニンは語る。「私がバレエを選んだわけじゃない。母親だ。ケガをしたらもう踊らなくていいのにと、いつも思っていた」
ポルーニンが大きな苦悩を抱くようになったのはロンドンに来てすぐ、両親が離婚したことを知ったときだった。「彼の頭の中で、全てが砕け始めた」と、バレエ学校時代からの友人で、ロイヤル・バレエのファースト・ソリストであるバレンティノ・ズケッティは言う。
バレエで成功すれば、家族がまた一緒になれると、若きポルーニンは信じていた。「でも、そうはならなかった」と彼は言う。「とても傷ついた。......思い出なんて全部捨てたかった」
ポルーニンの生活は荒れた。練習は続けたが、友達と遊び歩くようになりドラッグにも手を出した。パーティーに行くと、最初の20分間に「とんでもない量の酒をあおり」、10分ほど大騒ぎしてから気絶するのが常だったと、ズケッティは当時を振り返る。だが、観客はポルーニンを愛した。メディアも彼の才能と気性に魅了された。
父親が会いに来ようとしたが、イギリスのビザがなかなか取れなかった。母親には会いに来ないでほしいと、ポルーニン自身が頼んだ。だから家族は、彼がロイヤル・バレエで踊っているのを見たことがない。
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ある日、ポルーニンはリハーサルの最中に突然、ロイヤル・バレエを辞めると宣言した。その直後に撮影されたとおぼしきビデオには、雪が積もった路上で服を脱ぎ捨て、踊り始める姿が収められている。まるで初めて自由を謳歌するかのように。
ほかの場所で踊るのもいいかもしれない。例えばアメリカとか――。ポルーニンはそうつぶやく。だがすぐに、自分のような異端児はどこのバレエ団も受け入れてくれないだろうと語る。どうにかモスクワ音楽劇場バレエ団に居場所を見つけるが、やはりある日突然辞めてしまう。
「もうバレエをやめたいから、最後の作品の振り付けをしてほしいと頼まれた」と、ポルーニンと親しいジェイド・へールクリストフィは言う。こうして「テイク・ミー・トゥ・チャーチ」のプロジェクトが始まった。
「(この作品を通じて)セルゲイのファンに物語を聞かせたい」と、へールクリストフィは映画の中で語っている。「あまりあからさまな振り付けにはしたくないが、この作品を見れば、彼が懸命に努力していること、そして苦悩を抱えていることを分かってもらえるはずだ」
「ダンサーが求めるものを全て手に入れた。もう普通の生活をしたかった」と、ポルーニンは語る。「だったらやめればいい。簡単なことだと思った」
だが2カ月後、ポルーニンは再び舞台に戻り、バレエを踊り始めた。その観客席には、両親と祖母がいた。「踊りを愛していないと言ったら嘘になる」