風呂に入れさせてもらえないか──ウガンダの難民キャンプで
5人の子供を連れて
おじさんの横から立ち上がり、谷口さんを探すと違う施設の前で女性患者に話を聞いていた。患者の手の中には頭蓋骨の少し変形した幼児が抱かれていた。そっちはそっちで離れることの出来ないインタビューだったのだ、とわかった。
女性患者はジェーン・キデンと言い、二十代前半だと思われた。厳しい表情で黙っている彼女の代わりに谷口さんがそれまでの話を教えてくれたところによると、ジェーンさんは先週の木曜日にやはりカジュケジからウガンダへと逃げて来たのだった。彼女の場合、国境まで2週間かかったそうだった。
住んでいた場所を襲撃され、殺されるか彼らについていくかしかなくなり、逃げる以外に選択がなかった。市場も何も破壊され、生活の方法も奪われていた。
だからこそ5人もの子供をつれて、彼女はウガンダへと越境し、今は「タンク32」(水を補給するタンクの数字が彼ら難民の住所なのだ)にいる。まず何よりも体調を崩した子供の回復を願い、それがかなったら元の南スーダンに帰りたいと彼女は厳しい表情を崩さないまま俺たちに言った。
俺はしばらく沈黙していたあとスマホを取り出してジェーンさんの横に座り、カメラをセルフの方に切り替えてモニターを見せた。そこには俺とジェーンさんが映っていた。
それを見てジェーンさんは驚きながら笑った。俺もその声を聞いて思わず笑った。
写真はその瞬間のものだ。
彼女が笑ったほんの一瞬間の。
さらばインベピ・キャンプ
外来診療施設から車で移動する時も、ダウディおじさんは入り口のあたりに立っていた。まだ望みを捨てていなかったのかもしれないし、他にするべきことがなかったからかもしれない。ともかく俺はおじさんと目を合わせられないように思い、目を伏せていた。
けれども本当に車が動き出した時、そのままではすまないと考える自分がいた。窓から身を乗り出すと、すでにおじさんは俺を見ていた。俺は頭を下げた。おじさんはぎこちなく笑い、そうかやっぱりつれて行ってはくれないんだなと伝えているような顔をした。俺はもう一度今度は挨拶でなく謝るように頭を下げ、それから彼の目をしっかり見て手を振った。
おじさんはうなずき、やっぱり手を振った。顔が笑っているのが不思議だった。だが彼を背後にして車が砂ぼこりを上げて走り出すと、ダウディおじさんはああやって笑いながらたくさんのことを諦めてきたのだとわかり、もう誰も自分を見ていないのに車内で目を伏せた。
いや、本当に誰も見ていなかったろうか。
自分が自分を見ているその他に?
続く
いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。