風呂に入れさせてもらえないか──ウガンダの難民キャンプで
ダウディ・コーヨという男性で77歳。南スーダンのカジュゲジというところから、1か月前に歩いて国境を超えたのだという。木のベンチに座って話していると、老人というよりダウディおじさんといった方がいい若さがあった。
「ここに移れてよかったですね」
「ああ、それはそうだが、もう1カ月だよ。向こうではおいしい物を食べていたが、ここじゃ毎日豆だ。豆、豆、豆」
おじさんは愚痴を言った。3人の女の子たちは笑った。彼女らに聞こえるように言った愚痴だったからだ。
「どこから?」
「日本です」
「......日本」
おじさんは遠い目をした。悲しい表情だった。見ると瞳が青灰色をしていた。まるでわからないところから来た人間に、自分は何を言うべきか混乱したのではないか。
それでも、おじさんは現れた時から肩にかけていた小さなバッグを開け始めた。身元証明書のような書類と一緒に入っていたのは衣服のカラーで、若い女性たちの翻訳の助けを得て、それを作るのがおじさんの仕事だったのだとわかった。たったひとつだけを、彼はバッグに入れて逃げてきたのだった。
そしてもうひとつ、荷物があった。
聖書である。
「私はアングリカン教会派のキリスト教徒だからね」
ダウディおじさんはそう言ったあと、シェーファーがどうのこうのとつぶやいたのだが、その時の俺には何もわからなかった。ひょっとするとフランシス・シェーファーというキリスト教保守派の牧師に関するおじさんの意見かもしれない。
ともかくダウディさんは俺がスマホを向けると、この世での平安を訴えかけるかのような表情で聖書を掲げ持った。それまできょろついていた目がしっかりとカメラを見る変貌に俺は驚いた。信仰への信念と、現在の状況への疑念がふたつとも伝わってきたからだ。
おじさんはクロックスのような靴を履いていた。その中の右足の小指が痛んで仕方がないんだと、俺に見せて訴え始める。たまたま俺も数か月同じ場所に痛みがあり、靴とこすれないように樹脂製の小さなパッドを貼っていた。なのでおじさんに靴を脱いでもらい、俺の足のやつを貼って、
「これできっと大丈夫」
と俺は請け合った。請け合う以外、どうすることも出来なかったのだ。