なぜ人間は予測できない(一部の)サプライズを喜ぶのか
もしもあらゆる驚きが生物学的に悪いとすれば、一部の驚きが喜ばれるのはなぜだろう。結局のところクリネックスのケアキットを受け取った人たちは、予測できなかった経験を楽しんでいるではないか。私は認知学者のデイヴィッド・ヒューロンから、クライアントにつぎの質問をしてみるように勧められた。「最も重要な目標に到達できる日にちを正確に知ることができるとしたら、教えられるほうを選びますか?」という質問だが、ほとんどのクライアントからノーという答えが返ってきた。人生においては、不確実で意外な経験が喜びの源になっているケースもあるのだ。たしかに予言は喜びの源だが、あまりにも確実性が高い人生では喜びが薄れてしまう。
すべての驚きが最初は悪者扱いされるのであれば、たとえ意識にのぼらなくても、驚きは不安やストレスを引き起こすことになる。私たちが不安やストレスを経験するときには、体内でエンドルフィンなどの鎮静剤が放出されて、予測される痛みに対抗する準備が整うため、必要とあれば行動を起こして戦うことができる。実際のところ驚きのほとんどは誤認警報なのだが、それでも鎮静剤は放出され続ける。そうなると戦うために鎮静剤は必要とされないが、鎮静剤が引き起こす効果を楽しむことができる。
どうやら人間は生物学的なパラドックスに直面しているようだ。私たちは正確な予測を好む一方、若干の驚きを楽しんでいる。では、予測可能であると同時に意外性のあるものを、聞き手のために作り出すことはできるだろうか。この質問に答えるためにはまず、人間の脳がどのように予測を行ない、何が意外な要素として見られるのか、その仕組みについて学ばなければならない。
※第4回:I'm loving itからI'll be backまで、あの言葉はなぜ記憶に残るのか
『人は記憶で動く――相手に覚えさえ、思い出させ、
行動させるための「キュー」の出し方』
カーメン・サイモン 著
小坂恵理 訳
CCCメディアハウス
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