I'm loving itからI'll be backまで、あの言葉はなぜ記憶に残るのか
思い出してもらう頻度を増やすために肝心なのは、コンセプトが様々な状況で提供されることであり、その正しさはほかの科学的研究でも確認されている。たとえば、研究者は「チョコレート」という言葉を被験者に記憶してもらうため、2つの条件を設定した。一方では「チョコレート」という言葉だけが繰り返され、もう一方では、チョコレートバー、チョコレートケーキ、チョコレートミルクといった様々な文脈で繰り返された。この実験の結果、言葉をきちんと記憶していたのは後者のほうだった。様々な文脈が提供されたおかげで、情報を検索するための様々なキューが準備されたのではないかと考えられる。
私たちが物事を忘れるときは、記憶をよみがえらせるために必要なキューやトリガーが環境のなかで十分に提供されない場合が多い。「チョコレート」という言葉を記憶することが重要ならば、「ケーキ」や「ミルク」といった言葉を見たときにも思い出されなければならない。他人と共有する概念のほとんどには生息場所があって、その生息場所において、現実的な文脈で表象化されている。ほとんどは生息場所がひとつに限られるが、一部の物体やアイデアは複数の場所を確保している。たとえば「花」という言葉を聞くと、花のある場所として野原、店、誰かのデスク、誰かの髪の毛、あるいはセクシーなタンゴを想像するなら誰かの口を思い浮かべるだろう。しかし「冷凍食品売り場」というフレーズを聞かされても、想像できるのはひとつの状況、すなわち食料品店だけではないだろうか。
「This is the beginning of a beautiful friendship(これが美しい友情の始まりだな)」(映画『カサブランカ』より)といった台詞にポータビリティーが備わっている理由はわかる。様々な文脈に応用できるだけでなく、この言葉によって表現される状況を生み出すため、多くの文脈が引き金になり得るからだ。時には、繰り返し可能な台詞がごく特殊な文脈について語るときもある。「We will always have Paris(きみと幸せだったパリの思い出があるさ)」(映画『カサブランカ』より)とか「I have a feeling we're not in Kansas anymore(ここはカンザスじゃないみたいよ)」(児童文学『オズの魔法使い』より)は、いずれもあらゆる状況に適用できるほど普遍的な意味を持っていない。
複数の文脈に応用できて複数の文脈が誘因になり得る台詞と、特殊な状況のみに適用可能で誘因が少ない台詞を比べてみよう。映画『ソーシャル・ネットワーク』には、「A million dollar isn't cool. You know what's cool? A billion dollars(100万ドルはクールじゃない。何がクールだと思う? 10億ドルだよ)」という繰り返し可能な台詞が登場するが、現実の状況でこれを利用できる人が何人いるだろうか。この台詞を誘発する環境的なキューがいくつあるだろうか。