ジャニーズと戦後日本のメディア・家族(後編)
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論壇誌「アステイオン」85号(公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会編、CCCメディアハウス、11月29日発行)から、周東美材・東京大学大学院情報学環特任助教による論考「いつも見ていた『ジャニーズ』――戦後日本のメディアと家族」の一部を、2回に分けて抜粋・転載する。
今回は後編。ジャニー喜多川が育てた最初の4人組グループについて、周東氏は「『未熟』でありながら近代家族から愛される〈ジャニーズ〉は、その後の『ジャニーズ』のイメージの原型を形作り、日本社会にとって馴染み深い景色の起源となった」という。それはテレビの家庭化があってこそだった――。
(※なお、本稿では、最初の4人組グループのジャニーズを指すときには〈ジャニーズ〉と表記)
テレビの家庭化
〈ジャニーズ〉が《若い涙》でデビューした一九六四年といえば、東京オリンピックが開催され、テレビの世帯普及率が九割に届こうとしていた時期であった。ワシントン・ハイツはすでに全面返還されて選手村へと作り変えられており、NHK放送センターの移転先として整備が進められてもいた。日本社会は本格的なテレビ時代の幕開けを迎え、映像メディアが人々の日常を覆うようになっていった。
テレビをはじめとする最新家電は、豊かで民主的なアメリカ的生活を実現するための必需品であり、家庭の「主婦=奥さま」が新たな生活の経営主体として見出された。一九六〇年代には、松下電器産業をはじめとする日本の電機メーカーの技術者たちは、家電の技術的先端性を謳うことで「日本」という自己イメージを表明していった(吉見二〇〇七:一八三‐二〇六)。
家庭空間へと受容されたテレビは、「近代家族」によって視聴されるようになっていった。ここでいう「近代家族」とは、男女が恋愛をつうじて出会い、夫が外で働いて妻が家を守り、血縁者のみで構成された家庭のなかで、子どもを愛情深く育てる、というような諸特徴を備えた家族のことである(落合一九八九:一八)。このような家族のありようは、人類に普遍的なものでもなければ、自然なものでもなく、近代国家の基礎単位となるべく生み出されたものだった(西川二〇〇〇:一五‐一六)。
近代家族は、一家団欒を理想とする。テレビは、この理想を実践し、体現する装置だった。家族たちはテレビに媒介されることで、ナショナルな基礎単位としての実像を具体化していた(小林二〇〇三:七九)。すなわち、家電としてのテレビは、デペンデント・ハウスがもたらしたような新しいアメリカ式生活を実現しながら、国家の単位としての近代家族を具体化し、ナショナルな自意識を生み出す装置となったのである。
家庭の団欒で視聴されるテレビ番組には、子どもにもその親にも気楽に親しめる人気者が求められた。人気者であるためには、歌唱力や演奏技術の高さは必ずしも絶対の条件ではなく、肩の凝る芸術性も不要だった。テレビ番組の人気者となるのに必要なのは、歌やダンス、芝居、司会、笑いなど幅広い仕事をこなせる器用さや機転、さらには容姿の印象の好感や清潔さだった。ナベプロの渡辺晋・美佐夫妻は、こうしたテレビ時代を予見し、すでにザ・ピーナッツやスクールメイツなどの人材養成に着手していた。ナベプロが指導した後続の〈ジャニーズ〉もまた、テレビ時代が本格的に幕を開けていくなかで、茶の間の人気者となることを目指していった。