トルコという難民の「ダム」は決壊するのか

2016年11月30日(水)17時30分
望月優大

 根本原因はシリアが壊れていることである。シリアでは2011年ごろから始まった「アラブの春」を端緒として、シリアはいまに続く終わりの見えない内戦に陥ってしまった。

 いまではシリア政府軍、反政府武装勢力、イスラム国、クルド人系武装勢力という四つ巴の内戦に、欧米やロシア、トルコ、その他の中東諸国が複雑に交差するという泥沼の状況を呈している。

 アラブの春は、アラブ諸国の独裁体制を自由民主主義的なそれへと体制転換していくことを切望する同時多発的な運動だった。しかし、その体制転換はどの国でもあまりうまくいかず、特にシリアでは大きな無秩序状態の出現を促す形になってしまった。

 そうして、シリアが壊れたことで発生した大量の難民の存在が、自由民主主義を奉じる先進諸国に対して、大きな問いを投げかけている。

 それは「人権」や「法の規範」といった自らの体制を根本的に規定する価値が現実的に適用される人々の「範囲」とその限定についての問いであり、さらに、その範囲の限定を実行化していくために自らの外側に必要な国家の体制についての問いである。

 重要なことに、この問いは、歴史的に常に存在しながら長きにわたって見えにくい状態にあった、あるいはこれまでは見ないでいることができた、そうした種類の問いだったのである。


中東における政治的自由の不在、人権の侵害や民主化の遅れを、西欧諸国は批判し、導く立場であり続けてきた。しかし独裁政権は、言語や宗教・宗派といったエスニシティ構成もまちまちな中東の諸国を強権的な手法で統治することで、国境を維持し、武装集団の大規模な出現を阻止してきた。西欧にとって、アラブ諸国やトルコは、地中海の東岸や南岸で、アラブ世界やその背後のサブサハラ・アフリカ、あるいは南アジアから流れ着く移民・難民を、人権や自由の理念・原則からは疑わしい手法を用いながら、食い止めてきた「ダム」か「壁」のような存在だった。この「壁」があったからこそ、西欧諸国は第二次世界対戦後、かつての植民地からの大量難民の波に襲われることもなく、紛争の影響が及ぶこともなく、経済発展に必要な移民のみを、ある程度選択して受け入れることが可能だった。

このダムあるいは壁の存在は、綻びがない間は意識されにくいものだった。しかし「アラブの春」によって中東の諸国家が次々に揺らぎ、領域の管理が弛緩することで、西欧の安定と繁栄を可能としていた条件を、あからさまに示すことになったのである。

(池内恵『サイクス=ピコ協定 100年の呪縛』122-3頁)※太字強調は引用者

 トルコが最初にEU加盟の申請を行ったのは1987年のことだ。それからすでに30年近くの年月が経過している(当時はEUではなくEC)。

 これまでEUは一貫してトルコがEU的な価値観に適応すること、人権や法の支配を尊重することを求めてきた。トルコもそれに呼応して、2002年の死刑制度廃止など、少しずつ国内の人権問題を片付けてきた。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米バークシャー、24年は3年連続最高益 日本の商社

ワールド

トランプ氏、中国による戦略分野への投資を制限 CF

ワールド

ウクライナ資源譲渡、合意近い 援助分回収する=トラ

ビジネス

ECB預金金利、夏までに2%へ引き下げも=仏中銀総
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チームが発表【最新研究】
  • 2
    障がいで歩けない子犬が、補助具で「初めて歩く」映像...嬉しそうな姿に感動する人が続出
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 5
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 6
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 7
    見逃さないで...犬があなたを愛している「11のサイン…
  • 8
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 9
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 10
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 5
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 6
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 7
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 8
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中