勉強したい少年──ギリシャの難民キャンプにて
難民キャンプの敷地内に出来ていた臨時の学校(スマホ撮影)
<「国境なき医師団」(MSF)の取材をはじめた いとうせいこうさんは、まずハイチを訪ね、今度はギリシャの難民キャンプで活動するMSFをおとずれた。そして、アテネ市内で最大規模の難民キャンプがあるピレウス港で取材がつづけられた...>
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まだまだピレウス港にて
俺はまだピレウス港にいる。
本当はレスボス島に移動して、その最もトルコに近い観光の島で何が起きているかを見に行っているべきなのだが、メモ帳に残っているインタビュー相手の言葉がまだ行かないでくれと俺を呼び止めるのだ。
例えば、プレハブの診療所に来ていた痩せた少年、黒い長袖シャツを着てエリを立て、コットンのパンツにサンダルをはいて鼻の下の産毛を濃くし、洒落た黒縁メガネをかけて憂い顔をしていたアフシン・フセイン君は、アフガニスタンからそこへ流れ着いていた。
両親と妹と自分で国を出た彼はイラク、トルコ、そして最後はボートに3時間揺られてギリシャに来たのだ、という。全部で一ヶ月の不安な放浪だった。
ちなみに、アフシン君の言葉を訳して俺に伝えているのは例の"文化的仲介者"の男性で、薄くしか冷房の効いていない診療所の中で汗をかきながら熱心に伝達をしてくれていた。
当人のアフシン君は風邪をひいており、ピレウス港の他の診療所にも通ってみたが治らず、E1ゲートの診療所を訪れたのだそうだった。幸い咳のみで熱はなく、点鼻薬を二種類もらって帰るところだった。しかし、彼自身の身の振り方にはなお先が見えなかった。
「また新しい難民キャンプに行かなければならないのだろう、と思います」
17才だという少年は利発そうに答えた。彼らがゴールなくたらい回しになっていることをアフシン君はしごく冷静に語り、むしろそれまでの国境を越える移動が大変だったとこれまた低めの声で教えてくれた。
「紛争があって母国を出たんですか?」
そう質問すると、アフシン君は急に言語を変えようとした。
「I mean......I mean......」
おそらく仲介者なしで直接俺たちに話をするべきだと思ったのだろう。
しかしアフシン君の英語は続かなかった。結局彼はアフガニスタンの言葉であとを継いだ。
「紛争ではなく、政情不安がひどくて国にいることが出来なくなりました」
英語はしゃべれなかったが、彼が知能指数の高い子供であることは立ち居振る舞いからも伝わってきた。さらに言えば、その服装のセンスから所属する階級が決して低くないことがわかった。けれど彼ら一家は国を出た。ひょっとしたらインテリ一家であるからこそ母国を追われたのかもしれなかった。
そこで谷口さんが質問をした。俺がもじもじして聞けないでいることを、かわりに口に出してくれたのだった。
「厳しい質問かもしれませんが、アフシンさん、将来の望みはなんですか?」
するとアフシン君は谷口さんの方を向いて短く少しずつ答えた。
「まず勉強がしたいです。そして状況が好転したら早く帰りたい」
学べないことが彼にはつらいのだった。就きたい職業があるのかもしれない。知的好奇心が若い彼の才能を開かせようとしているのを、自身でも感じているのかもしれない。
そして何より彼は元の自分に戻りたいのだった。