67歳のボス、スプリングスティーンが知られざる素顔を語る
スプリングスティーン自身も父親の気質を受け継ぎ、激しい気分の揺れと鬱状態に悩まされてきたと告白している。ツアーに出ているときは気分が晴れるが、それが終わると鬱がぶり返す。自伝によれば、「ツアー中の自分は王様だけど、家ではそうじゃない」からだ。
そのせいで女性関係は失敗を繰り返すが、E・ストリート・バンドのバックアップシンガー、パティ・シアルファとの2度目の結婚でようやく救われる。
この本の率直な語り口には、ファンの幻滅を軽減させる効果があるはずだ。ただし、心の痛みではなく欲求については、正面から向き合うことを避ける態度がうかがえる。具体的には、スポットライトを浴びようとする人間の身勝手さについてだ。
例えばE・ストリート・バンドのサックス奏者だった故クラレンス・クレモンズとの関係。クレモンズは長期間にわたりバンドに在籍した唯一の黒人メンバーだった。
2人はロック史上、最も印象的な異人種同士のコンビだった。自伝と同名のアルバム(邦題は『明日なき暴走』)のジャケットには、2人が互いに体をもたれ掛け合う写真がフィーチャーされている。
ただし、私生活上の付き合いはあまりなかった。スプリングスティーンはクレモンズの音楽性を高く評価していたが、バンドに黒人メンバーがいるという事実も同じくらい重視していたようだ。R&Bをルーツに持つロックの歴史と、人種統合と社会変革を目指すリベラル思想へのオマージュとして。
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インスピレーションの源泉
もう1つ、英雄願望に近い「男らしさ」へのこだわりも読者を戸惑わせる。スプリングスティーンは父親から受け継いだ「理想の男」に関する偏った思想と女嫌いの感情を持て余していた。自伝によれば、自分が父親から見下された理由は男らしさが足りなかったせいだという思いから、男っぽい男を過剰に演じた面もあったという。
典型的な労働者階級の勤労観を持つボスにとって、音楽活動はファンの欲求に奉仕する「仕事」そのものだった。「人生を通じて肉体労働をやったことは1週間分ほどもないけれど、心の中では工場労働者の服、父が着ていた服を着て仕事に行く」
強迫観念にも近い、並外れた奉仕の精神だ。この倫理観は音楽に対する真摯な姿勢や、血と汗を最後の1滴まで絞り出そうとするステージパフォーマンスにも一貫して感じ取れる。
自伝の中には、息子と友人たちが大ファンだというパンクバンド、アゲインスト・ミーのライブを見に行くシーンもある。このバンドのベーシストは、片方の腕にスプリングスティーンの絵柄のタトゥーを入れ、もう片方の腕には78年の作品「バッドランド」の歌詞を丸ごと彫り込んでいた。
今のボスは確かに過去の遺物だが、これから登場する新世代のアーティストにとってインスピレーションの源泉になるかもしれない。その泉の深さを教えてくれただけでも、この自伝は一読の価値がある。
© 2016, Slate
[2016年10月25日号掲載]