最新記事

音楽

67歳のボス、スプリングスティーンが知られざる素顔を語る

2016年10月26日(水)11時00分
カール・ウィルソン

 スプリングスティーン自身も父親の気質を受け継ぎ、激しい気分の揺れと鬱状態に悩まされてきたと告白している。ツアーに出ているときは気分が晴れるが、それが終わると鬱がぶり返す。自伝によれば、「ツアー中の自分は王様だけど、家ではそうじゃない」からだ。

 そのせいで女性関係は失敗を繰り返すが、E・ストリート・バンドのバックアップシンガー、パティ・シアルファとの2度目の結婚でようやく救われる。

 この本の率直な語り口には、ファンの幻滅を軽減させる効果があるはずだ。ただし、心の痛みではなく欲求については、正面から向き合うことを避ける態度がうかがえる。具体的には、スポットライトを浴びようとする人間の身勝手さについてだ。

 例えばE・ストリート・バンドのサックス奏者だった故クラレンス・クレモンズとの関係。クレモンズは長期間にわたりバンドに在籍した唯一の黒人メンバーだった。

 2人はロック史上、最も印象的な異人種同士のコンビだった。自伝と同名のアルバム(邦題は『明日なき暴走』)のジャケットには、2人が互いに体をもたれ掛け合う写真がフィーチャーされている。

 ただし、私生活上の付き合いはあまりなかった。スプリングスティーンはクレモンズの音楽性を高く評価していたが、バンドに黒人メンバーがいるという事実も同じくらい重視していたようだ。R&Bをルーツに持つロックの歴史と、人種統合と社会変革を目指すリベラル思想へのオマージュとして。

【参考記事】X JAPANの壮絶な過去と再生の物語

インスピレーションの源泉

 もう1つ、英雄願望に近い「男らしさ」へのこだわりも読者を戸惑わせる。スプリングスティーンは父親から受け継いだ「理想の男」に関する偏った思想と女嫌いの感情を持て余していた。自伝によれば、自分が父親から見下された理由は男らしさが足りなかったせいだという思いから、男っぽい男を過剰に演じた面もあったという。

 典型的な労働者階級の勤労観を持つボスにとって、音楽活動はファンの欲求に奉仕する「仕事」そのものだった。「人生を通じて肉体労働をやったことは1週間分ほどもないけれど、心の中では工場労働者の服、父が着ていた服を着て仕事に行く」

 強迫観念にも近い、並外れた奉仕の精神だ。この倫理観は音楽に対する真摯な姿勢や、血と汗を最後の1滴まで絞り出そうとするステージパフォーマンスにも一貫して感じ取れる。

 自伝の中には、息子と友人たちが大ファンだというパンクバンド、アゲインスト・ミーのライブを見に行くシーンもある。このバンドのベーシストは、片方の腕にスプリングスティーンの絵柄のタトゥーを入れ、もう片方の腕には78年の作品「バッドランド」の歌詞を丸ごと彫り込んでいた。

 今のボスは確かに過去の遺物だが、これから登場する新世代のアーティストにとってインスピレーションの源泉になるかもしれない。その泉の深さを教えてくれただけでも、この自伝は一読の価値がある。

© 2016, Slate

[2016年10月25日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

パリのソルボンヌ大学でガザ抗議活動、警察が排除 キ

ビジネス

日銀が利上げなら「かなり深刻」な景気後退=元IMF

ビジネス

独CPI、4月は2.4%上昇に加速 コア・サービス

ワールド

米英外相、ハマスにガザ停戦案合意呼びかけ 「正しい
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われた、史上初の「ドッグファイト」動画を米軍が公開

  • 4

    メーガン妃の「限定いちごジャム」を贈られた「問題…

  • 5

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 8

    19世紀イタリア、全世界を巻き込んだ論争『エドガル…

  • 9

    ナワリヌイ暗殺は「プーチンの命令ではなかった」米…

  • 10

    目の前の子の「お尻」に...! 真剣なバレエの練習中…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 4

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 7

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 8

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 9

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 10

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 4

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 7

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 8

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    「誰かが嘘をついている」――米メディアは大谷翔平の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中