ギリシャまで、暴力や拷問から逃れてきた人々
VoV(the Victims of Violence project)へ行く
旅行気分が続くのも15分ほどだった。目的地近くに降ろされた俺たちは、自力で目指すビルを探さねばならなかった。いや、場所が見つかりにくいことが俺の気持ちを切り替えたのではない。現に谷口さんは携帯で先方につなぎ、ビルの特徴を聞き始めていた。
むしろ、俺が緊張したのは、行き先がVoV(the Victims of Violence project)、「暴力や拷問を受けた人びとを対象としたプロジェクト」だったことである。いきなりハードなインタビューが予想された。
どうやらこのビルらしいという建物が見つかり、中に入るとドアが引き戸になったエレベーターがあった。右に引くと格子が狭まるタイプだったと思う。乗って四階に向かったのだが、到着したはずのエレベーターはかすかに揺れ、ドンとかすかに落下した。次元がずれた感覚がした。
引き戸を開けて降りたが、あるはずのVoVの表札はなかった。
迷っていると、階段の下から呼ぶ声があった。
「ヒロコ?」
「シェリー?」
谷口さんが先に階下に行った。俺が続いた。
そこに白髪の恰幅のいい女性がいた。
シェリー・デュボアというアメリカ人だった。
VoVの医療活動マネジャー。組織唯一のエクスパット(外国人派遣スタッフ)である。
にこやかに俺たちを迎えたシェリーは、三階の事務所のドアを開けた。中が彼女たちのオフィスで、大きめのテーブルのこちらと向こうに俺たちは座って対面した。細い老眼鏡をかけ、黒い服に身を包んだシェリーはすぐさま話し出した。なにしろ、当初は週末に会うスケジュールだったが忙しいし、週末は休みたいという変更をした人だ。シェリーおばあさんには時間がなかった。
まず、VoVは現在世界に3つあるとわかった。
最初はエジプトのカイロに出来た組織は、次にアテネ、そしてローマへと拠点を広げた。当然それぞれは連携し、政治的宗教的抑圧や拷問から逃げてきた人々を保護し、ケアするのだった。
そんなハードな、かつ政治的な活動をしているのだと思うと、にっこり笑いながら話をするシェリーおばあさんがかえって凄い人だと感じられた。
「私たちが行うのは一次診療じゃなくて、専門的な二次診療です。今は月水金の週3日。来る人たちはみんなそれぞれに酷い物語を持っているから、それはそれは気をつけて接しないといけません」
彼らは同時に、ギリシャの中で難民・移民を法律的に支援している団体「ギリシャ難民協議会」、そして心理ケア専門の「デイ・センター・バベル」と密接につながりあいながら、被害者の身体的心理的なケアと社会的支援をしていた。
シェリーは続けざまにどんどん話して、どんどん微笑んだ。急いでいるように見えた。
やがて、実際に治療をしているのはすぐ近くのビルでだとシェリーは言い始めた。俺たちがいるのはあくまでも事務的な作業をする場所なのだった。
「去年はほら、シリアからたくさん難民の方々が来たでしょ。だからそれまでの4倍の人を看ることになったの。それでこっちもあっちも大変」
忙しいのにノンキに取材になど来てしまって申し訳なかったなと思っていると、シェリーが重い体を持ち上げて立った。
「さあ行きましょ」
と言う。
俺も谷口さんも面食らった。するとシェリーがある方角を指した。
「治療してるところも見たいでしょ?」
彼女は俺たちのために十二分な便宜を図ってくれていたのだった。