ギリシャまで、暴力や拷問から逃れてきた人々
スケジュール変更
7月15日。
マリエッタからのブリーフィングを聞き終えて、俺と国境なき医師団(MSF)ジャパン広報の谷口さんはタクシーに乗ったのだった。車を呼んでくれたのはMSFギリシャの広報ディミトリスさんで、彼は運転手に行き先まで告げてくれた。
数分で俺たちは細い道の中に立つ白いビルの前に着いた。一階は改装中で、ガラス張りのオフィスの中に工事関係者が三人ぼんやりと椅子に座っていた。
ビルの三階にMSFベルギー(OCB)のオペレーション・センターがあった。今回の取材を仕切ってくれているそこで、俺たちはスタッフ用宿舎のカギをもらわねばならなかった。
引っ越したばかりのようなきれいなオフィスは、真ん中に廊下があり、両端にガラス張りの各部屋がある形で、そこに若いスタッフが詰めていた。
誰が誰か覚えられない早さで大勢の人と握手をし、自己紹介をしている間に、外国人派遣スタッフの渡航・宿泊の手配を担当しているエリーザこと、エリザベス・ビリアノウさんが2セットのカギをくれた。
その日は当初取材がなかった予定なのだが、俺たちが日本を出る日にスケジュール変更の連絡があったらしく、カギと一緒に宿舎の地図のコピーをもらって急いで外に出た。歩いて10分ほどのその場所に、まず荷物を置く必要があった。そこもタクシーで行くものかと思ったが、エリーザさんは歩くことしか前提にしていなかった。
これはギリシャにいる間にわかったことだが、彼らはよく歩く。飲みに行く時も、仕事の時も、出勤も帰宅も、20分以内なら(ひょっとしたら30分でも)絶対に歩行だ。地下鉄が走っていて、設置された自動改札はチケットに穴を開けるだけだからタダ乗りさえ自由なのにも関わらず、ギリシャ人は、少なくともアテネ人はあまり電車に乗らない。
それにならったわけでもないが、俺たちは地図で指定された通りに荷物をゴロゴロ言わせて歩き、ひとつの通りに面したビルの2LDKに入ると、ひとつずつ無言で部屋を選んでそのカートを置くやいなやすぐにまた外へ出た。
予定が変わった行き先は少し遠かったから、そこはタクシーを拾った。住所が書かれた紙を運転手氏に渡すと、俺より少し年上といった感じの彼は機嫌よさそうにうなずき、車を発進させた。
運転手氏は煙草を吸い、灰を外に落とした。こちらもシートベルトをしなかった。いかにもヨーロッパ的なそういう振る舞いに妙な旅行気分を刺激された俺は窓の外をキョロキョロ見た。アテネは街路樹が多様で豊富だった。道の両側の建物の前にはイチジクやオリーブや火炎樹らしき木が植えられ、中央分離帯にも樹木が並んで木陰を作っていた。