いとうせいこう、ハイチの『国境なき医師団』で非医療スタッフの重要さを知る(7)
歩く間に陽光の中でフェリーはこんなことも言った。
「今、我々は周囲の病院の能力をつぶさに調べている。我々は土地の医師たちに任せて去れるようにしなければならないからだ。だからこそ、ここクリュオのカバー率も徐々に減らすように心がけているんだよ」
まぶしそうな顔で彼は続けた。
「これから三年はかかるだろう。この施設もそれに備えて変えていかねばならない。いつまでも駐留しているのでは目的が違う」
そして、最後にこう付け加えた。
「難しいことだが、長い道も一歩からだ」
フェリーはつまり、千里の道も一歩からを引用していた。ことわざをサービスしてくれたのだ。口の端がにやりと上がっていたから間違いなかろう。
それから俺たちは 産科救急センターの病院内に足を踏み入れた。
廊下でカールに会った。ダーンも緑衣姿で通りかかった。その時に疫学のエキスパートだとわかったオルモデもいた。
そして看護師のリーダーであるベルギー人ステファニーにも会った。
彼女はほんの一週間ほど前、帰還していたベルギー空港で爆弾テロに遭い、多くのニュース映像に出た人だった。携帯電話を耳にあて、右手を血で真っ赤にしながら何かしゃべっている写真だ。当時世界中の人が見たし、今も検索するとすぐにわかる。
それが数日後にはもうハイチに戻って仕事を始めていたのだった。なんと勇敢な女性だろうか。
となると、写真の意味もまるで変わってくる。
悲嘆に暮れて家族に電話している女性、といういわゆるマスコミ向きの一枚ではない。
おそらくあれは、状況を医療関係者に伝え、適切な処置を要請していた姿に違いないのだ。
そうでなければ、怪我が治るのもそこそこにMSFに復帰するはずがないのだから。
そんな猛者たちが黙々と妊産婦たち、新生児たちを守る産科救急センターの内部については次回さらにくわしくレポートする。
続く
<補足>
・菊地紘子さんのカチンコチンになったインタビュー映像ダイジェストを、谷口さんが緊急にまとめてくれた。
その緊張ぶりと真面目さをどうぞご覧下さい。
・また、第一回で紹介したビデオの日本語版も作られたようだ。
いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。