いとうせいこう、ハイチの『国境なき医師団』で非医療スタッフの重要さを知る(7)
産科救急センター(CRUO)
八時半、猫探しをあきらめた俺は産科救急センターへ行く四駆に乗った。そここそが紘子さんの働いている病院だった。
崩れかけた壁の道側にゴミが山となっていて、そこに牛が放たれて生ゴミをあさっていた。ガレキだらけの敷地に鉄骨がぐにゃりと曲がって立っていた。
その向こうに青空があった。
東北で見たことのある景色だった。
震災の跡と、自然の無情。
谷口さんが話してくれたところによると、ハイチの富裕層は先進国のそれに負けない財産を持っているのだそうだった。ひと握りの彼らはしかし、国民を守ることがない。
俺は自分がどこにいるのか、ますますよくわからなくなった。
産科救急センターの裏口から中に入ってぼんやりしていると懐かしい声が後ろからした。
フェリーが目を細めて微笑んでいた。
すぐに紘子さんも緑衣にエプロンという、勤務中の格好で現れて、二人で俺たちを案内し始める。
食堂があり、広い洗い場があって、現地の女性たちが働いていた。コンクリートの上に洗濯物を置いてごしごし洗い、水で流し、木の間にわたした紐に吊るすのだ。
奥にコンテナで出来た事務所があって、まずそこに入った。フェリーの部屋があった。少し冷房がかかっていて、小さくクラシック音楽が鳴っていた。横にカールの机もあった。
「2011年の3月8日に出来たんで、あちこち補修が必要だ。だが、予算がなくてね」
フェリーは大きな体をより大きく動かし、片目をつぶった。
俺たちがソファに座ると、彼はコーヒーを淹れ、様々な話を始めた。
ロジスティックがなければ医療もないのだ、とフェリーは言った。ジェネレーターもあのコーヒーマシンの洗浄も、緊急治療室の電気も、トイレも、検査室や手術室に必要な冷房も、すべてロジスティックとサプライチームが用意して、医療従事者がベストを尽くせるようにする。となれば、その医療と非医療の連携を束ねる責任者も当然必要になるだろうと俺は納得した。
つまりフェリーの話は、なぜ彼ら非医療スタッフがそこにいるのかの重要な説明になっていたのだった。
また、ハイチの出産ピークが10月から1月で、カーニバルの9ヶ月後になっていることも、フェリーは例のハリウッドっぽい笑顔で教えてくれた。ただし、それはジョークでもありながら、ピークに合わせて医療チームも非医療チーム(電気技師も、衛生係も、車輌スタッフも)も人員を増やすという管理の話につながっていた。
コーヒーを飲み終えると、フェリーは外へ出ようと俺たちを誘った。
例えば焼却炉があり、そこでは医療廃棄物が適正に処理できる温度での焼却が行われていた。あるいは、昔馬小屋だった部屋を使っているために、蹄鉄をかける場所がそのまま衣料かけになっていたりした。最先端と旧式がないまぜになって使われているのだ。