紫の異端児プリンス、その突然過ぎる旅立ち
天才、奇人、悪趣味――様々なレッテルをパープルの煙に巻いて、音楽史にその名を残すアーティストがまた1人この世に別れを告げた
天国へ 2002年、ニューヨークのマジソンスクエア・ガーデンでのコンサート Kevin Mazur-Wireimage/GETTY IMAGES
嘘だろう、と今度も思った。第1報はアメリカ中部時間4月21日午前11時すぎのツイッター。詳細は不明だった。ペイズリーパーク(プリンスの自宅兼スタジオ)で人が死んだ、救急車が来た、ファンが集まっているぞ......。
それでも私たちは、プリンスが死んだとは思わなかった。私たちの時代の集合意識の中で、プリンスは死ぬわけがない存在とされていたからだ。しかし、その建物のエレベーター内で倒れたのはプリンスその人だった。享年57歳。
嘘だろう、「ビートに抱かれて」のビデオでバスタブに浮かぶ彼は、この世の人間とは思えなかったのに。
【参考記事】プリンスはポップス界のアイコンだった
今年は伝説的なミュージシャンの死が続く。ファンは彼らが永遠には生きないと教えられた。みんな死ぬ。最もミステリアスな異次元のカリスマだって。
もっとも、プリンスのファンなら「嘘だろう」感には慣れている。80年に性的倒錯感を炸裂させたアルバム『ダーティ・マインド』が出たときもそうだった。彼はすべての曲を書き、プロデュースし、歌い、あらゆる楽器を自分で弾いていた(ただし2つの楽曲のバックコーラスとシンセサイザーを除く)。
大きな反響を呼んだアルバム『ダーティ・マインド』『戦慄の貴公子』『1999』『パープル・レイン』を、4年足らずのうちに連続して発表したときも「嘘だろう」と思った。
まだある。07年のスーパーボウルのハーフタイムショーに登場してメドレーを披露し、締めくくりの「パープル・レイン」をパープルの人工雨にぬれながら歌い上げたときも、「嘘だろう」と思った。誰だって、あれは史上最高のハーフタイムショーだと認めるはずだ。
副大統領夫人に納まる前のティッパー・ゴアも、娘が聴いていた「ダーリン・ニッキー」(『パープル・レイン』に収録)の歌詞が耳に入ったとき、「嘘でしょ」とつぶやいたらしい(もちろん、褒め言葉ではない)。何しろ内容は超露骨で、ニッキーという女性との一夜を歌ったもの。怒ったティッパーは、際どい歌詞に目を光らせる組織「ペアレンツ・ミュージック・リソースセンター」を設立したのだった。
プリンスのセクシュアリティーは過剰でショッキングだが、人を励ましもした。同性愛でも異性愛でもいい、自分のセクシュアリティーに正直であれ。それが彼のメッセージだった。