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追悼プリンスはポップス界のアイコンだった
グラミー賞7回、アカデミー賞1回、アルバム売り上げ1億枚以上が音楽史に残した影響は大きい
プリンスといえばこの色 「パープル・レイン」の大ヒットで一躍スーパースターに(2006) Chris Pizzello-REUTERS
ロックミュージシャンのプリンスが今日、ミネソタ州ミネアポリス近郊にある音楽スタジオ兼自宅、ペイスリーパーク・スタジオで死亡しているのが発見された。57歳だった。
シンガーソングライターでマルチプレイヤーのプリンスは1980年~1990年代の活躍でポップスの偶像としての地位を確立。その35年以上にわたるキャリアは音楽業界に大きな影響を与えた。スタジオで39枚のアルバムを制作し、世界で1億枚以上を売り上げた。グラミー賞受賞7回、アカデミー賞(当時の歌曲・編曲賞)1回、2004年にはアメリカの博物館「ロックの殿堂」入りを果たした。
ロサンゼルスの追悼集会にやってきたファン Lucy Nicholson-REUTERS
プリンスことプリンス・ロジャーズ・ネルソンは、初期のアルバムとシングルで熱烈なファンを獲得し、世界進出で成功を収め、1984年の半自伝的な映画『パープル・レイン』と、そのサウンドトラック中の3曲の大ヒット(「パープル・レイン」「ビートに抱かれて」「レッツ・ゴー・クレイジー」)で、誰もが知る名前となった。その後も『サイン・オブ・ザ・タイムス』やティム・バートン監督の映画『バットマン』の曲が売れ続け、1991年にはニューバンド「ニュー・パワー・ジェネレーション」をデビューさせた。
直前までステージに
1990年代前半には『ダイアモンズ・アンド・パールズ』と『ラヴ・シンボル』を発売。「7」「SEXY MF」などのシングル・ヒットも出した。キャリアの後半ではプリンスは速いペースでアルバムを出し続けたが、最も記憶に残るのはおそらく、大イベントで見せた名パフォーマンスだろう。2004年のグラミー賞ではビヨンセ・ノウルズと現れ、2007年にマイアミで行われたスーパーボウルでの演奏はビルボード・コムにスーパーボウル史上最高のハーフタイムショーにランクされた。
性差を超えた存在だった REUTERS
プリンスは最近、インフルエンザに罹って苦しんだが、死ぬ直前までコンサートを続けていた。1週間前には、元気な姿をファンに見せるためにペイズリーパーク近くのステージに立っていた。