【再録】J・K・ローリング「ハリー・ポッター」を本音で語る
――あなたは意識して質素な生活を保っているようだ。車を5台買うわけでも、ヘリコプターを買うわけでもない。
私は運転ができないから、車が5台あっても困るだけ。ヘリコプターも同じ。でも、お堅いピューリタンを気取ってるわけじゃない。お金を使うのは楽しい。
5年前と現在の最大の違いは、お金の不安がなくなったこと。赤貧を経験した人じゃないと、わからないでしょうね。お金の心配をしなくていいことに、毎日感謝している。
――生活が窮屈になったのでは? 今でも自由に街を歩ける?
もちろん。うれしいことに、私はあまり目立たない。それに、声をかけてくれるのは礼儀正しい人ばかり。自分かお子さんが本を読んでいて、素敵な言葉で励ましてくれる。
家の前にマスコミが群がっていた時期は参ったわ。あんなことになるなんて......。不愉快よ。でも、泣き言はいわない。私は人生最大の夢をかなえたんだから。ちょっと、当たりが大きすぎただけ。
――作中のハリーも、いずれは年を取る。
ちゃんと成長してほしいし、そうさせるつもり。でも、本の雰囲気を壊すような形は避けたい。ハーマイオニーが10代で妊娠したり、誰かが麻薬に手を出したりしたら、ぶち壊しでしょ。
児童書で妊娠や麻薬を扱うのは好ましくないって思うわけじゃない。ただ、『ハリー・ポッター』にはそぐわないと思う。
――司書や批評家や親から、妊娠や麻薬の話は避けろというプレッシャーを受けたことは?
そういうプレッシャーはまるで感じない。児童書は、「これこれしかじかを勉強するために読みなさい」という本ではないし、それは文学のあるべき姿じゃない。どんな本からも得るものはあるだろうけど、堅苦しいお説教ばかりじゃなくていいはず。
『ハリー・ポッター』にも教訓はあると思う。でも子供たちが3章まで読んだところで「この本の教訓はこれか」なんて納得している姿を想像すると、ぞっとする。
――あなたは悪魔崇拝を奨励していると非難されているが。
人気が出ると、決まってこういうことになる。悪魔崇拝を理由に難癖をつけたがる連中には、正面から対決してもいいと思っている。彼らの価値観を変えるのは不可能でしょうけど。
ただ、一つだけ強く言っておきたいのは、検閲という概念は許せないということ。もちろん、彼らには自分の子供に読ませる本を決める絶対的な権利がある。でも、他人様の子供の読書を制限するなんて、絶対に正しくないと思う。
――お子さんが生まれる前と比べて、どこか書き方は変わった?
私の作品に登場する子供たちと、その感情の根底にあるものはすべて私の記憶。娘の影響はまったくない。ストーリーの大半は娘が生まれる前に固まっていた。
それでよかったと思う。自分の子供を実名で自分の本に登場させるなんて、いいアイデアじゃない。私のジェシカが「ハリー・ポッターの妹」として一生を送るなんて、考えただけでゾッとする。
――第4作はシリーズの重要な節目になる?
そうね。プロットの展開からいけば、とても重要な作品よ。
――作品の長さでも一番?
いいえ。いちばん長いのは第7巻になりそう。きっと百科事典並みになるわ。それでお別れだから。
いちばん苦労した作品であることは確かね。『秘密の部屋』にも手こずったけど。不思議なもので、いちばん苦労したこの2作品が一番のお気に入りなの。
――書くことで、あなたは変わっただろうか。
ええ。ずっとハッピーになった。作品を書き終えるたびに、私はどんどんハッピーになる。『ハリー・ポッター』は、完成できた初めての小説。あと一息だった作品は、それまでに2冊あるけど。
書くことだけが自分の才能だと思ってたから、それが証明できてうれしい。私は、ものを書くこと以外にはほとんど役立たずの人間なの。平凡な教師で、教えるのは好きだったけれど、事務仕事は苦手だった。誇れることじゃない。
――前に書いた2作品とは?
両方とも大人の本。詩を除いては、何でも挑戦した。詩も書いたけど、自分でもクズだってわかったから(笑)。皮肉なもので、児童書は考えたこともなかった。いつも大人向けの話を考えていた。