辺野古に反対する翁長沖縄知事が「変節ではない」理由
シンポジウムを収録した『沖縄と本土』には、かつて移設推進派だった現知事の「生の言葉」が詰め込まれていた
『沖縄と本土――いま、立ち止まって考える 辺野古移設・日米安保・民主主義』(翁長雄志、寺島実郎、佐藤優、山口昇、朝日新聞取材班著、朝日新聞出版)は、「翁長雄志・沖縄県知事と有識者との意見交換の場を」という発案から実現したシンポジウムの内容を収録したもの。
翁長知事に加え、多摩大学学長の寺島実郎、元外交官・作家の佐藤優、元陸上自衛官で国際大学教授の山口昇、そして司会として、朝日新聞特別編集委員の星浩の諸氏が参加している。
沖縄県議時代には自民党沖縄県連幹事長を務め、当時は普天間問題で辺野古移設推進派であったことを明らかにしてきた翁長氏は、本人いわく「どっぷりと自民党につかってやってきた」人間である。個人的にはそこに説得力を感じていたが、一方、だからこそ齟齬や誤解が入り込み、本質がきちんと伝えられていないのではないかとも感じていた。事実、翁長氏については、保守から革新に寝返ったと誤解している人もいるだろう。
このことについては、本書の後半にシンポジウムを受けて佐藤氏が記していることが参考になる。
日本本土に置かれた米軍基地という面倒な施設は沖縄にもっていく。そして日本本土は平和と繁栄を維持した。こうした戦後の歩みの違いが、沖縄と日本本土との間の「ねじれ」を生み、それが構造的な差別となった。構造化されているがゆえに、中央政府には沖縄に対する差別が見えないのだ。(83ページ、佐藤優「辺野古移設にこだわるほど強まる『沖縄のエトニ』の記憶」より)
沖縄人は、こうした中央政府のやり方を目の当たりにして、明治政府による1872年から行われた一連の琉球処分、あるいは1609年の琉日戦争(薩摩の琉球入り)といった歴史の記憶と現状とを結びつけている。その根本にあるのは、果たして日本人とこれから一緒に歩んでいって自分たちは生き残ることができるのかという存在論的な不安だ。
こうした流れの結果としての沖縄と中央政府との関係を、はっきり目に見えるようにしたのが、翁長知事なのだ。(84ページ、佐藤優「辺野古移設にこだわるほど強まる『沖縄のエトニ』の記憶」より)
パネル討論の中でも話題に出ているように、こうした本質を見極めていけば、翁長氏の言動が変節などではないことがわかるはずだ。保守であろうがなかろうが、翁長氏の内部に根づくのは沖縄人としての自覚である。その本質を貫き通しているだけなのだから、沖縄に対する構造的差別に気がつかない中央政府との間に齟齬が生まれても仕方がないのだ。そしてそのことが明確になればなるほど、日本政府に"なにをどうしたいのか"というはっきりとした意思がないことが気になった。事実、沖縄の問題について追及すべき点があるとすればまさにそこであることが、討論のなかでは示されている。
また、そういう意味では、本シンポジウムを主催した朝日新聞が社説で展開している「(辺野古への基地移設は)強制的にやるべきものではない」ので「ここは一つ立ち止まって考えよう」という論にも納得できる。辺野古が唯一の解決策だなどという単純な問題ではなく、まずは賛成反対両派が「お互いの違いを知る」ことが重要だからだ。