フランスが忘れない虐殺の記憶
ナチス親衛隊に皆殺しされた村を廃墟のまま保存し続ける意味
惨劇の舞台 642人の住民がナチス親衛隊に虐殺されたオラドゥール・シュル・グラヌ村 Pascal Rossignol-Reuters
ナチス・ドイツの支配下にあったフランスのノルマンディー海岸に連合軍が上陸してから、6月6日で70年。記念式典には欧州各国の首脳やオバマ米大統領、ウクライナ危機で対立するロシアのプーチン大統領も顔をそろえ、第二次大戦の潮目を変えた歴史的なノルマンディー上陸70周年を祝う予定だ。
フランスでは、ノルマンディー以外にも戦争の記憶を今に伝える場所が少なくない。なかでも象徴的なのが、フランス中南部のリムーザン地方のオラドゥール・シュル・グラヌ村。ナチス親衛隊による大虐殺の舞台となった村だ。
ノルマンディー上陸作戦直後の1944年6月10日、フランスのレジスタンス組織によるナチス司令官誘拐計画への報復としてナチス親衛隊がオラドゥール・シュル・グラヌ村を襲撃し、男性を次々に銃殺。500人ほどの女性と子供が逃げ込んだ教会には火が放たれ、子供1人を除く全員が焼け死んだ。村はすべて焼き払われ、犠牲者642人の大半は身元さえ判別できなかった。
当時、亡命政府を率いていたシャルル・ド・ゴールは、ナチスの蛮行を後世に伝えるため、破壊された村を再建しないことを決めた。おかげで村は今も廃墟同然の状態で保存されており、近隣には虐殺の際に住民が身に着けていたものなどを展示する博物館もある。
昨年夏にはドイツのガウク大統領がオランド仏大統領とともに村を訪れ、虐殺を生き延びた数少ない村民と面会した。さらに今年1月にはドイツの検察当局が、虐殺に加わった元ナチス親衛隊の男(88)を起訴している。
オラドゥール・シュル・グラヌ村を訪れる人は年間13万人。フランスでは、こうした「戦争ツーリズム」が一大産業となっている面もある。ノルマンディー上陸70周年の今年は特に盛り上がりをみせており、観光客数は推定6割増。第一次大戦最大の激戦地となったフランス北部のソンムや、ノルマンディー上陸作戦の舞台オマハ・ビーチも、オラドゥール・シュル・グラヌをはるかに上回る数の観光客を集めている。