IMFセックス疑惑のメイドが独占激白
【第1回】「男は私に襲いかかった」
IMF前専務理事ストロスカーンを性的暴行容疑で訴えた客室係が本誌だけに語った事件の一部始終
ニューヨークのソフィテルホテルで事件が起きたあの日、客室係はスイートルームのドアを開けて、「すみません、ハウスキーピングですが」と、大きな声で叫んだ。彼女はルームサービスの担当者から、2806号室は清掃に入れる状態だと告げられていた。部屋に入ってすぐのリビングルームでも念のためもう1度声をかけてみたが、返事はない。
彼女の左側には、ベッドールームにつながるドアがある。ドアは開いたままで、ベッドの一部が見えていた。リビングルームを見回してみるが、客の鞄らしきものは見当たらない。彼女は「すみません、ハウスキーピングですが」ともう1度声を張り上げた。そのときだった。真っ裸になった白髪頭の男性が突如、どこからともなく現れたのは──。
これが、ギニア出身の客室係ナフィサトウ・ディアロ(32)が5月14日に起きた衝撃的な事件の始まりとして語った内容だ。ディアロは、IMF(国際通貨基金)専務理事(当時)ドミニク・ストロスカーンから性的暴行を受けたとして彼を訴えた。
ディアロの人生と、次期フランス大統領候補とも目されていたストロスカーンの人生を大きく変えた「IMFトップ性的暴行」事件。ディアロは今回、事件後初めてメディアの取材に応じ、3時間に及ぶ本誌の独占インタビューに答えた。
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ナフィサトウ・ディアロは華やかなタイプの女性ではない。褐色の肌にはかすかにニキビ跡が残り、黒髪は赤茶色に染められ、シンプルなストレートヘア。無表情でいると、どことなく物憂げな雰囲気を漂わせる。もっとも、体型は女性らしいボリュームのあるスタイルだ。
ソフィテルホテルで働き出して3年。高級ホテルでの客室係──ディアロにとってはこれ以上ないほど安全で安定した仕事に違いなかった。03年にギニアからアメリカにやって来てソフィテルでの職を見つけるまで、彼女は治安の悪いブロンクスで髪を編む仕事をしたり友人の店で働いたりして生計を立てていた。
アメリカ移住の経緯は語りたがらない
ディアロが最も快活な素振りを見せたのは、ソフィテルでの仕事ぶりを評価されて昇格・昇給が認められた話題になったとき。労働組合によれば、彼女が清掃を担当するのは1日に14室で、時給25ドルとチップが収入源だった。ディアロは今年4月以来、28階の客室すべてを担当していた。ワンフロアをまとめて担当できれば、エレベータで各階を移動する無駄を省けると、ディアロは語った。
ディアロは時折涙を流し、ときには嘘泣きのように見えることもあった。西アフリカでの過去に関する質問に対しては、曖昧な返答に終始。ギニアの田舎でコーラン学校を開いていたイスラム導師の父については語りたがらず、夫は「病気」で死亡し、娘の1人も生後3〜4カ月で亡くなったと話した。
2001年、ギニアの首都コナクリで夜間外出禁止令に違反した際、彼女を逮捕した兵士2人にレイプされた。翌朝解放されたが、男たちは彼女に暴行現場を掃除させたという。
その後、ディアロは「よりよい人生」を求めて、娘(現在15歳)とともにアメリカに移住。ただし、アメリカに来た経緯の詳細は彼女も弁護士も語ろうとせず、話がこの点に及ぶと、ディアロは目を伏せ、涙を流した。