忘れられた戦争の忘れられた犠牲者
20年前の第1次湾岸戦争に従軍したイギリス人技術者の腎臓障害は、劣化ウラン弾が原因なのか
終わりなき戦い コナリーが20年間味わってきた苦痛を知る人は少ない Akira Suemori
繰り返しですっかり膨れ上がった静脈に、そっと針を刺す。手伝ってくれる人はいない。ロンドン南西部の公営福祉住宅に住むポール・コナリー(48)の朝は週半分以上、こうして始まる。
週4日、1日4時間かけての人工透析が文字通りコナリーの生命線だ。以前は週3回地元の病院に通っていが、移転で自宅から離れたため、講習を受けて自分で透析することに決めた。毎回、透析特有の寒さや体のかゆみに悩まされるが、やめることはできない。部屋に貼ったカレンダーは、透析のほか医師の診察、医療機器のメンテナンスといった予定で埋められている。
サッカーチームでプレーするほど健康だったコナリーの生活が一変したのは、民間技術者として、湾岸戦争に参加したイギリス軍に従軍した20年前のこと。90年10月から91年5月まで湾岸地域に滞在し、うち3週間はイラク南部で過ごした。「死のハイウェイ」と呼ばれ、敗走するイラク軍が激しい攻撃にさらされたバスラ・ロードがある地域だ。
戦場でコナリーは兵器用コンピューターの周辺機器を保守・管理していた。帰国した際には「生きている喜び」を噛み締めたが、それも長くは続かなかった。体が異様に疲れやすくなっているのに気付き、原因不明の頭痛に悩まされ始めたからだ。
医師から血圧が高いと指摘され、病院で詳しい検査をしたところ、腎臓の機能に問題が見つかった。帰国後5年ほどで健康、仕事、恋人、そして自宅を失う。ホームレスになり、手を差しのべてくれた姉宅に身を寄せた。腎臓移植手術も受けたが、移植された腎臓は機能せず、人工透析が欠かせなくなった。
民間人には恩給が認められない
湾岸戦争では、装甲板を貫通する劣化ウラン弾が使用された。着弾・貫通する時に燃焼し酸化ウランが飛散するとされ、これが湾岸帰還兵らの健康被害の一因ではないかと指摘されている。コナリー自身も、劣化ウラン弾の使われた地域の汚染された空気にさらされたのではと感じている。現在のイギリスには健康被害を訴える湾岸帰還兵が数千人いるとされ、軍人恩給の申請が認められるケースもある。
しかし民間人のコナリーにはその資格がない。地元の国会議員を通じてイギリス政府に援助を求めたが、「回答すべきケースではない」という答えしか返って来なかった。同じ立場で健康被害を訴える民間人は十数人いたが、恩給が認められる見通しが立たないため、全員活動を止めてしまった。今では音信不通だ。
従軍前、コナリーはかけられる適当な保険を探したが該当するものがなかった。当時所属していた会社の上司から問い合わせを受けた国防省の担当者は「こちらで面倒をみる」と、答えたという。
「(湾岸戦争を病気の因果関係を認めてもらうために)何年も戦ってきたが、何にもならなかった」。コナリーは会話中、左耳を傾けて聞くことが多い。耳感染症で右耳の鼓膜が破れ、左耳でしか聞こえないからだ。免疫機能が落ちているせいだ、とコナリーは考えている。昨年は肥大した副甲状腺の摘出手術を受けた。