マリキはイランの軍門に下らない
アッダワ党は結局、キャンプをSCIRIに明け渡すことになった。側近のタリブ・アル・ハッサンによると、リーダーの1人だったマリキは83年初めの撤収当日、キャンプ内のモスクでゲリラ兵にこう告げた。「今後、アッダワ党はこのキャンプと無関係になる」
イランは新しいキャンプの主人となったSCIRIに全力で肩入れした。その結果、アッダワ党の勢力は衰え、イラン当局との軋轢はその後も続いた。ハッサンによると、マリキと自分の滞在許可証を更新する際、イランの役人からSCIRIの文書による承認が必要だと告げられたという。
イラク統治評議会を承認してくれた恩
イラク軍がアフワズを空爆しようとしたときには、最悪に近い経験を味わった。住民たちが町から逃げ出しているさなか、ハッサンの家にマリキが助けを求めにやって来た。ついさっき、妻が帝王切開で息子を出産したが、病院はもぬけの殻に近い状態だという。
ハッサンはマリキと2人でマリキの妻と赤ん坊を病院から運び出して車に乗せ、大急ぎで町を脱出した。その間、助けてくれるイラン人は1人もいなかった。
それでもマリキを含むイラクのシーア派指導者は、イランが03年、アメリカの後押しで成立したイラク統治評議会を周辺諸国で最初に承認してくれたことを忘れていない。昨年、この地域の国家元首で最初にイラクを訪れたのも、イランのマフムード・アハマディネジャド大統領だった。
最近のマリキは、イラク独自の路線を大胆に主張するようになってきた。「これまでアメリカと距離を置こうとしてきたが、今はイランとも距離を置こうとしている」と、元米国務省の中東専門家ウェイン・ホワイトは指摘する。
アッダワ党の連邦議会議員ハイデル・アル・アバディは、イラク政府軍が昨年、南部のバスラで急進派のシーア派指導者ムクタダ・アル・サドル師傘下の民兵組織マハディ軍の掃討作戦を実施した際に、イランとの国境地帯に広がる「スパイ網」を摘発したとマリキが語るのを聞いたという。
元アッダワ党のシャバンデルによると、マリキは停戦合意後に開かれた治安会議の席で、サドル派にこう警告した。「彼ら(イラン)は今、他人を攻撃するためのロケットを諸君に提供しているが、明日は諸君を攻撃するためのロケットを他人に与えるだろう」
マリキの周囲は親イラン派だらけ
アッダワ党は今後もイランと手を組み続けるという見方もある。マリキの周囲の党幹部は親イラン派ばかりで、イランはアッダワ党を「遠隔操作」できる状態にあると、シャバンデルは言う。
だがアッダワ党は、イランが油断ならない相手であることを身に染みて知っている。「イランは言うこととやることが違う場合がある」と、ロンドンでアッダワ党のスポークスマンとして活動するズハイル・アル・ナヘルは言う。「アメリカも全面的には信頼できないが、彼らは多くの場合、いったん口にしたことは守る」
イラクに対するイランの影響力を完全に排除するのは不可能だ。イラク政府当局者によれば、両国の貿易額は年間40億ドル。イラクから見て、イランはトルコに次ぐ第2の貿易相手国だ。しかもイランは、いざとなれば親イラン派の武装民兵を動かしてイラク国内を大混乱に陥れることもできる。
シャバンデルによれば、マリキはイラン革命防衛隊の司令官の1人、カッサム・スレイマニがひそかに自分の追い落としを画策しているのではないかと疑っている(マリキの側近はこの話を否定)。
10年初めの連邦議会選がカギに
それでもアッダワ党は、20数年前にキャンプを明け渡した相手の鼻を明かすチャンスを手にしたのかもしれない。アッダワ党は今年1月の地方選挙で、SCIRIから改称したイラク・イスラム最高評議会(SIIC)を初めて上回った。連邦議会選挙を来年初めに控え、危機感を強めたイランはSIICとの統一会派の維持を求めてマリキに圧力をかけている。
だがマリキは、自分たちが会派の主導権を握ることを強く主張するとみられる。要求が受け入れられなければ、スンニ派と組んで宗派混合の統一会派をつくるまでだと、アッダワ党の関係者は言う。
もしそうなれば、イラクは国内の和解にぐっと近づく。同時にイランの勢力圏から大きく離れることにもなる。問題はイランがそれを認めるかどうか、認めないとすればどこまで抵抗するかだ。
[2009年6月24日号掲載]