「天安門事件を謝罪するはずがない」
流血の「6・4事件」で10代の息子を失ってから20年。抗議の声を上げ続けてきた遺族団体の創設者が語る、中国政府への憤りとオバマ米大統領への期待
決死の抵抗 89年6月、天安門広場近くで戦車の前に立ちはだかる若者 Reuters
5月17日。北京のとある個人宅に50人ほどの年老いた親たちが集まった。20年前の天安門事件で命を絶たれた子供たちを追悼するためだ。
だがここに、遺族団体「天安門の母たち」の創設者で追悼文を読むはずだった丁子霖(ティン・ツーリン)(73)の姿はなかった。知人らによれば、事件の起きた6月4日を過ぎるまで、当局から行動を厳しく制限されているのだという。最近では電話もつながらない状態だ。
4月下旬、メリンダ・リウ本誌北京支局長が丁の自宅でインタビューした。
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――天安門事件で政府が弾圧を行なった根本原因は何だと思うか。
私が(事件で殺された)息子の遺体を引き取ったとき、息子はまだ10代だった。なぜあの子は殺されたのか? 私の認識では、あの事件は政治システムがもたらした悲劇だ。中国社会を救うのに、指導部などあてにはできない。共産党に言わせれば、一般の中国人の命など1本の草の命と変わらないのだから。
――ヒラリー・クリントン米国務長官は2月の訪中の際、人権問題が米中間の協議の妨げになってはならないと述べた。
あの発言にはとてもがっかりした。だが個人的には私はヒラリーに感謝の念を抱いている。95年の北京女性会議に出席した際、彼女は(拘束中だった)私の釈放に力を貸してくれたからだ。
ビル・クリントン元大統領は(98年の訪中の際に)天安門広場に面した場所で歓迎式典に臨んだが、ヒラリーはそれに反対していたという話だ。あの時私は本当に大統領の行為に腹が立った。
天安門広場は89年に学生たちが殺された場所だ。その血はまだ乾いていないし、傷も癒されないままあそこに残っている。そんな場所で赤いじゅうたんの上に立ち、中国軍の歓迎を受けるなんて、天安門(で死んだ若者)の母たちの心を踏みにじる行為だと思った。
――バラク・オバマ米大統領は年内に訪中する予定だ。彼に言いたいことは?
劉暁波(リウ・シアオポー、民主化を求める声明『08憲章』に関与したとして08年末に逮捕された活動家)を救い出してほしい。中国国内にいる(共産党政権の)被害者はみんな、オバマの動向に注目し、期待をかけている。彼は就任演説で「変化」を約束した。われわれはその実現を待っている。
――天安門事件20周年以外にも、今年、中国は政治的に問題となりそうな節目をいくつも迎える。
09年は共産党にとってはやっかいな年だ。(チベット動乱と)ダライ・ラマの亡命から数えて50年目でもある。共産党は人々を殺りくすることで権力を強奪したから、国内には緊張が残っている。
88年に鄧小平はこう言った。2万人を殺せば中国は20年間、平和と安定を維持できると。天安門事件の当時は国中の人々が殺戮に激怒したが、時の経過とともに悲劇を忘れてしまう人もいる。