新米ママたちに寄り添う専門職「ドゥーラ」とは?...シングルマザーになって見つけた、私の天職
Having a Baby Alone
2024年11月06日(水)15時20分
2児の母となったミランチュクは産前産後の女性を支援する事業を立ち上げた NATALLIA MIRANCHUK
<妊娠が分かってから離婚を決めて不安に苦しんだ日々、そんな時期の女友達の助けが起業のヒントに>
私は16歳の時、医者から自然に妊娠する可能性はとても低いと言われた。まだ10代だったし、将来はモデルになりたかったから、特に気にしなかった。子供を産むのはずっと先のこと。その時になったら奇跡が起きるかも、と。
夢がかなってモデルになり、モデルエージェンシーの経営も手がけた。その後、写真家と結婚し、彼と共に新生児の写真を撮るビジネスを始めた。2年ほどして「奇跡」が起きた。妊娠したのだ。ホルモン療法も人工授精もなしで。
■【関連画像】TEDスピーカーとなった筆者のナタリア・ミランチュク(スーラ共同創業者) を見る
でも、「めでたし、めでたし」とはいかなかった。妊娠が分かると夫は目に見えて落ち着きを失い不機嫌になった。父親の務めを果たす自信がなかったのだろう。イライラして物に当たるようになった。
こんな調子では、とてもやっていけないと思った。父は亡くなっていたし、母はまだ小さな弟の世話に追われていて、離婚しても誰にも頼れない状況だったけれど、私の気持ちは変わらなかった。
強い不安に駆られたのは臨月の頃。とても心細かった。シャワーを浴びるだけで頭がクラクラする。1人で倒れて、誰にも発見されなかったら? 不安でいっぱいの私を救ったのは女友達だった。