「母親の自覚が足りないッ!」...海外通販サイトで見つけたマタニティドレスに思わず私もツッコミを入れた
私はこの反応にどうしても納得がいかなかった。あとからだんだん腹が立ち、「母親の自覚とは具体的に何のことか、あなたは24時間365日、母の自覚を持ってお暮らしなのか、私は自覚がないのではなく、持ったうえで選んでいるのだ、そのふわっとした実体のない言葉で、どれだけ多くの女性がこれまで苦しんできたと思っているのか?」という内容を50枚くらいオブラートに包んでメールしてしまったが、返事はなかった。
社会に決めつけられることへの抵抗
自覚というのは常に「n=1」の事象であって、他人に押し付けられるようなものではないはずなのに、なぜ外野がこうも介入してくるのだろう。
「それ、一生続くからね」と、子どもの福祉に関わるNPOを運営するヨシノちゃんは言った。
「妊娠した途端にさ、ママであることを求められるんだよね。ママっていうカテゴリに入れられてさ、一生、戻ってこれない感じ、ハイあなたはこっちのトラック走ってねって、出世からもキャリアからも遠ざけられて、ちょっとでもママらしくないことしたら『自覚がない!』って怒られんの。
私なんかさ、妊娠を公表した途端に『もうママなんだから、誰かにNPO譲りなよ』って言われたんだよ。余計なお世話だよ。
そんで子ども産んだら産んだで、『ママになったから、この事業はじめたんですね』とか言われるんだよ。独身時代からやってるっつーの!」
私はおいおいと泣いた。社会が勝手に結んだ「母」像に、自己が丸ごと回収されてゆく感じ。これまでの「私が私」であった世界と「ママA」としての世界のはざまで、行き場がなくなったようなそんな心細さ。
この感じ、何かに似ていると思ったら、ジブリ映画の「千と千尋の神隠し」で、主人公の千尋が湯婆婆に名を奪われ、湯屋で働かされはじめるあのシーンなのだった。
「いいかい? お前の名は今日からママだ。ママなんだよ」
──そうして女だけのコミュニティに閉じ込められたまま、一生戻ってこられないんじゃないだろうか。