「母親の自覚が足りないッ!」...海外通販サイトで見つけたマタニティドレスに思わず私もツッコミを入れた
Liudmila Chernetska-iStock
<妊娠して気づいたのは、さまざまな場面で「母としての私」であることを迫られること。妊婦は「自分」でいては、いけないのか?>
少子化対策が叫ばれてはいるが、国が提示する政策や社会の未来に現実的な希望を持ちづらい。それでも子を持ちたいと願う者たちに優しい未来はあるのか...。
35歳、都会に生まれ育ち、仕事も軌道に乗っていた作家の小野美由紀さんは、妊娠出産を通じて、今までの自分には見えていなかった問題に気づきはじめる。新刊『わっしょい!妊婦』(CCCメディアハウス)より一部抜粋。
性教育で教えてほしかったこと
高校生の頃に受けた性教育の授業では、女子生徒だけが講堂に集められ、出産シーンの収められたビデオを見せられてハイおしまいで、こんなこといっさい教えちゃくれなかった。
出産は産む女だけのものではなく、パートナーとの共同作業であることも、産んだら最後、その作業が永遠とも思える時間続くことも、あの時知れたらどんなによかっただろう。
知っていたらきっと、街ゆく妊婦への接し方も、妊娠した友人や仕事仲間への接し方も変わったことだろう。
少子化、少子化と騒がれ、若い世代に子どもを産め、産めというくせに、どうにも我が国では出産という現象はいまだに日常生活からは切り離されたブラックボックスで、まるでウサギを追いかけて運よく穴に落ちた人間だけが初めて全容を知らされる(そして、外の世界には決して共有されない)「不思議の国」のような扱いなのである。
母の、自覚......?
それでいてこの時期、私がもっとも納得がいかなかったのが、色んな場面で「母としての私」であることを迫られはじめたことだった。
ある時、妊娠前まで通っていたヨガ教室に素足にミュールで行ったところ、私の姿を見た先生は卒倒せんばかりの悲鳴を上げてこう叫んだ。
「んまぁっ! オノさん! 妊娠中なのに素足だなんて! 母親の自覚が足りないッ!」
真夏である。しかも、近所である。また、この先生は私が妊娠してからも以前と変わらず出張を続けていることについて「まあっ! 出張! 赤ちゃんがかわいそうじゃないっ!」と言った。