永遠の妖精オードリー・ヘプバーン スイスの極小美術館、2年ぶりのひっそり展覧会
もう1つ、ヘプバーンがお気に入りだった店はチョコレートショップMaierだ。残念ながら2016年に閉店し、現在は同じ場所に製菓店が入居している。
初婚時、別宅があった場所はスイスの高級リゾート
ヘプバーンはトロシュナで長く暮らし、墓も同村にあるため、1度目の挙式をしたスイス中央部のビュルゲンシュトックについてはふれられることが少ないが、その教会はいまも残っている。ビュルゲンシュトックはスイスの観光スポットとして外せないルツェルンから、フェリーで湖を渡りケーブルカーで上ること約40分で到着する高級リゾートだ。標高約1000メートルの場所にあり、絶景を堪能できる。宿泊しなくても、もちろんスパを利用したり食事や散歩を楽しんだりできる。
ヘプバーンは教会の裏手に別宅を持ち、最初の夫メル・ファーラーと長男ショーンと長期間過ごした(ビュルゲンシュトックでのヘプバーンの写真はこちら)。スイスに別宅を持った理由について、スイスの日刊地方紙ターグブラットは、ヘプバーンが喘息を患っており、カリフォルニアの気候よりもスイスの気候の方が合っていたからだと報じている。また、ショーンは、母ヘプバーンは第二次世界大戦中に栄養失調で大変な思いをし、その後は狂ったように働いたためプレッシャーが非常に大きく、父ファーラーがヘプバーンを守ろうと平和で静かな場所を探したためだとインタビューで話している(スイスのニュース週刊誌イルストリエルテ)。そして、ファーラーが、ビュルゲンシュトックの当時のホテル責任者と友人だったことが決め手になったという。
ショーンによると、ビュルゲンシュトックを離れトロシュナに引っ越した理由は、ビュルゲンシュトックでの冬の厳しさ(寒さと雪)だったという。ヘプバーンはスイスが大好きで、ずっとスイスで過ごすことを望んでいた。ある日、親子3人でトロシュナへドライブし、いくらか温暖な気候のスイスの西側が気に入ったというわけだった。
ヘプバーンの安住の地スイスは、これからも彼女の残した足跡について静かに伝えていくことだろう。
[執筆者]
岩澤里美
スイス在住ジャーナリスト。上智大学で修士号取得(教育学)後、教育・心理系雑誌の編集に携わる。イギリスの大学院博士課程留学を経て2001年よりチューリヒ(ドイツ語圏)へ。共同通信の通信員として従事したのち、フリーランスで執筆を開始。スイスを中心にヨーロッパ各地での取材も続けている。得意分野は社会現象、ユニークな新ビジネス、文化で、執筆多数。数々のニュース系サイトほか、JAL国際線ファーストクラス機内誌『AGORA』、季刊『環境ビジネス』など雑誌にも寄稿。東京都認定のNPO 法人「在外ジャーナリスト協会(Global Press)」監事として、世界に住む日本人フリーランスジャーナリスト・ライターを支援している。www.satomi-iwasawa.com