世界が絶賛するソリスト、田中彩子に学ぶ「世界で輝く」秘訣
「一度、音楽からキッパリ離れることにしました。あらゆる手段を試したけど、高い声が出ない。なら、もう考えない。音楽も聴かない、ピアノも弾かない、歌わない、と決めたんです」
リセットするために、田中は凝った料理を作る、語学を勉強する、ナイトクラブで朝まで踊るなど、普段しないことをして、他の同世代の友達たちのように思いっきり遊びを満喫した。
「いかに自分の生活が、音楽を中心に回っていたかに気付きました。声のために食事や睡眠の制限をし、まったく遊びにも出なかった。歌のためにストイックになることは悪いことではないし、むしろ今でも成功のためにそれは重要なことだとは思っているけれど、当時は自分で自分にプレッシャーを与えすぎて、窮屈になっていたんですよね。『好き。楽しい』という根本の、一番大切な想いを見失っていました。そこで一度すっかり離れてみたときに『あ、やっぱり好き。歌いたい』と思って。その時、自分の中で歌うことを職業として生きていくことに迷いがなくなりました」
再び新たな気持ちでゆっくりと練習を重ねていくうちに、田中の本来の声が戻った。その数か月後初めての国際コンクールを受けた際にスカウトをうけ、22歳の時にスイス・ベルンの州立歌劇場において『フィガロの結婚』で日本人初、且つ最年少のソリスト・デビューが決まった。
ウィーン2大コンサートホールの一つ、ウィーン・コンツェルトハウスで公演する田中氏 Photo:J-Two
「何か行動をするときに、『なぜこれをするのか』と意識してやるのとやらないのとでは、結果が変わってくると思います。つい日常的になんとなく行動してしまいがちだけれど、『私はこれが好き。だからやる』と改めて自分で認識して行動することは、とても大事なことだと思うのです」
晴れてデビューを果たした田中だが、クラシック音楽業界は、1回デビューしても、次々と仕事が舞い込む世界ではない。金銭的にも厳しい時があったそうだ。
「歌の仕事は、何でも片っ端から受けました。それでも生活が苦しくて音楽以外のバイトもしてみましたが、私は器用ではないので上手くいかず、とにかく1日の時間とエネルギーはすべて歌に費やしたかった。だから、食事はジャガイモだけとか、財布を開けると5ユーロ(約640円)しかない、という日々も続きました。でも、声が出なくなった頃の不安と比べれば、金銭面の不安は平気。音楽さえ順調であれば、何とか生きていけるという不思議な自信がありました」
その後、ロンドン・ロイヤルフィルハーモニーとの定期公演やウィーン・コンツェルトハウス、南米最高峰コンサートホールCCKでの公演にてベスト初演作品賞を貰うなど、田中はどんどんキャリアを積み上げ、スイスで歌った際は「人生の中でそう聞けることのない素晴らしい声」と絶賛される。そんな田中が成功への階段を上っていった秘訣は、「全力投球」だったという。
「どんなコンサートでも、『今日で歌手人生が終わっても後悔しない」と思えるくらい、その時に出せる力をすべて出し切るようにしています。時には気を抜いてしまいそうなときもありますが、後で後悔するのは決まって自分。どんな時でも全力投球できるようにコンディションに気を付けています」
クラシックの本場ウィーンで、「自分の色」の確立
ヨーロッパで生まれたクラシック音楽を日本人が歌うことは、歌舞伎を外国人が演じるのと似ているという。容姿や言語、動作もまったく違う東洋人の歌手が、舞台で違和感を持たれてはいけない。かといって、欧米人のマネをすればいいというものでもない。
世界中からトップが集まるウィーンのクラシック音楽界で、日本人として田中はどのように「自分の色」を確立していったのか。
「最初の頃は、いかに欧米人に馴染めるかということに集中していました。でも、それだと東洋人の私を選ぶ必要がない。だから日本人として、どう自分を活かせるか考えていました」
「まず、欧米人の強みを分析しました。例えば豪快で、感情を出すのが上手。逆に私は、柔らかさ、繊細さは出せるかもしれない。自分ができること・できないことを紙に明確に書きだしました」
さらに、田中はこう続ける。
「なんでもやろうとすると、平均になる。できないことは置いておき、『これは負けない!』という強みを伸ばすことが、世界で闘う上で一番大事だと思っています。どんな人でも、長所も短所もあって当たり前。そう考えると、自由になりました」
例えば、田中は舞台上で「指の動きがキレイだ」と言われた際、それを伸ばすために、着付けや日本舞踊家などの美しい所作を観察して取り入れ、舞台上で実践した。
「日本人女性は周囲をドキっとさせてしまう仕草など、特別な色気があると思います。日本の白黒映画の女優さんや、歌舞伎俳優の女形の仕草は、特に参考にしています」
「欧米人は動きをもっと大きくして『見せよう』とするのですが、私はもっと小さくして『見てもらおう』とする。正反対のことをしています」
無理に欧米人になることにこだわらず、日本という独特な文化で育った「自分らしさ」を伸ばす――。それが自信に繋がったようだ。