同性婚禁止と戦う米記者の告白
映画『ミルク』が問うもの
この事件の後、サンフランシスコの同性愛者たちは、市議選に名乗りを上げていたカストロ通りのカメラ店主のもとに結集した。当選すれば、同性愛者であると公表したうえで公選の職に就く(アメリカの主要都市では)初めての人物になる。その男の名前は、ハーベイ・ミルク。
歴史の勉強の一環として、俳優のショーン・ペンがミルクを演じた映画『ミルク』の試写を見に行った。隠れていないで戦おうと、同性愛者たちに呼びかける主人公の姿を見るうちに、私の記憶はあの時代に舞い戻っていった。
当時中学生だった私は、ハーベイ・ミルクという男が何者なのか知らなかった。知っていたとしても、その活動に興味を示す勇気はなかっただろう。同性愛者だと周囲に思われるのが怖かった。当時の私は、自分に対してすら自分自身の性的志向を認めることに嫌悪感をいだいていた。
状況を考えれば当然だった。77年、フロリダ産オレンジジュースのCMのお姉さんが突然あちこちのメディアに登場し、同性愛の邪悪さを非難しはじめたのだ。フロリダ州デード郡で制定された同性愛者の権利保護の条例を廃止すべきだと、そのアニタ・ブライアントという歌手は訴えた。
「同性愛者は子供をつくれないので、子供をどこかから取ってこようとする」「同性愛者に権利を与えれば、次は売春婦の権利を認め、犬と肉体関係をもつ人間の権利まで認めなければならなくなる」
今にして思えば、ブライアントの同性愛者排撃キャンペーンは、キリスト教右派が特定の法制度をめぐって結集した最初の事例だった。キリスト教右派はこの運動で勝利の味を知ると、そのまま突き進みはじめた。
「不戦敗」だった08年戦争
この戦いの敗北は、生まれたばかりの同性愛者の権利運動に大きな衝撃を与えた。しかしこの苦い出来事をさかいに、同性愛者の結束はそれまでになく強まった。
サンフランシスコの街で、ミルクを先頭にした同性愛者がシュプレヒコールを上げながら行進した。フロリダの二の舞いにはしないと、強く決意していたのだ。この翌年、キリスト教右派がカリフォルニアを標的にしたとき、カリフォルニアの同性愛者たちは戦う心構えができていた。
78年中間選挙の際に、公立学校で同性愛者が働くことを禁じる提案がカリフォルニア州の住民投票にかけられた。「同性愛教師から子供たちを救え」と、提案賛成派は新聞広告で訴えた。
ミルクをはじめ同性愛者の指導者たちは、民主党関係のあらゆるつてを頼って反対キャンペーンを展開した。民主党出身のジミー・カーター大統領もカリフォルニア州民に、提案に反対するよう呼びかけた。
しかし、この提案を葬り去る助けになったのは「ロナルド・レーガンが反対に回ったことだった」と、ガーランドは言う。「同性愛ははしかのような感染する病気ではない」と、超保守的な主張で高い人気を誇っていた前カリフォルニア州知事レーガンが指摘したのだ(レーガンはこの2年後の大統領選で当選)。「科学界の常識によれば、人間の性的志向はきわめて幼い時期に決まるものであり、学校の教師の影響は関係ない」
この戦いには勝ったものの、喜びは長くは続かなかった。この後程なくして、ミルクがサンフランシスコ市長とともに殺害されてしまう。犯人はダン・ホワイトという保守派の同僚議員だった。翌年にホワイトに下った判決は、殺人よりも軽い過失致死。怒った同性愛者がサンフランシスコの街を埋めた。