DEFENDERの日本縦断旅がついに最終章! 本土最南端へ──歴史と絶景が織りなす5日間
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身も心も温まったところで、DEFENDERはさらに南へ約18km走り、福岡県大川市向島と佐賀県佐賀市諸富町を結ぶ筑後川昇開橋へと向かう。1935年の完成時「東洋一の可動式鉄橋」と称されたこの橋は、中央部分が約23mまで上昇する昇開式可動橋で、当時の技術の粋をいまに伝えている。その重厚な鉄骨が描く構造美は橋の模型が出品された1937年のパリ万博でも賞賛を集め、2003年には国の重要文化財に指定された。近代化の足跡を刻むこの橋は、時代を超えた技術の結晶を体現しているかのようだ。
筑後川昇開橋を見終えた後、有明海に沿って南下すること約1時間半、佐賀県太良町の大魚(おおうみ)神社の海中鳥居が姿を現した。
約300年前に現在のかたちで建立された3基の朱色の鳥居は、満潮時には海面に浮かび、干潮時には歩いて下を通れる独特の景観をつくり出す。30年ごとの建て替えを重ねながら、豊漁と海の安全を祈願する人々の想いを受け継いでいる。潮の満ち引きとともに表情を変える姿は、有明海ならではの自然と信仰が織りなす神秘的な光景だ。
DAY1の最終目的地となる武雄温泉までの約30kmは激しい豪雨に見舞われた。しかし、DEFENDERの優れた走行安定性と静粛性は、悪天候をも味方につける。雨音は心地よいBGMに変わり、安全で快適なドライブを楽しむことができた。九州最大の都市の朝の静寂から始まり、悠久の歴史を持つ神社、そして近代化の歴史を物語る建造物群に触れた充実の一日は、1300年の歴史を誇る名湯、武雄温泉の宵闇のなかで静かに幕を閉じた。
DAY2 佐世保の港町から雲仙の霊峰へ
武雄温泉での一泊を終え、街の静寂を包み込むようなまぶしい朝の太陽を浴びながら、DAY2が始まった。まずは、街のシンボルである楼門とDEFENDERの共演を目指す。「日本近代建築の父」と呼ばれる佐賀県出身の建築家・辰野金吾が設計した楼門は、1915年の完成以来、この地のランドマークとして愛され続けている。釘を一切使わない伝統工法で建てられた朱塗りの天平式楼門には、12のうちの4つの干支(子、卯、午、酉)の彫絵が施されいるが、残りの8つは、同じく辰野が設計した2階の東京駅のドーム天井に装飾されている。これまで、東京駅の干支が8つだった事は長年の謎とされてきたが、辰野が仕掛けた粋なミステリーだったということだ。明治・大正を代表する偉大な建築家にも壮大なロマンがあったのだろうと感じられる。