顔の「お直し」で人は本当に幸せになれるのか?
Plump Lips and Wellness
多様な体を見せる意義
美の基準を押し付けて人々の幸福感を損ない、それを美容で回復させる悪循環は、1人が自信を持てば別の誰かが自信を失う状況を生む。
今は美容外科や顧客に直接商品を売るD2C型美容企業のウェブサイトで、簡単にアンチエイジングに手が届く時代。
「自分は合格ラインだと自信を持つには、より多くの努力と出費が必要になる」と、ウィドウズは書く。「その結果、正常とされる範囲は狭まり、異常の範囲が広がる」
世間に整形でふっくらさせた唇が増えれば、「正常」なはずの自分の唇がにわかに冴えなく思えるのだ。理想の美には誰も到達できない。だが整形を受けるにしても拒否するにしても、理想の美は私たちを縛る。
これは力を合わせることでしか解決できない問題だと、政治哲学者のクレア・チェンバーズは『無傷/無修正の体を擁護する』(ペンギン・ブックス刊)で述べる。
人には自分の体を改造する権利があるが、「四六時中、おまえの体はおかしいと批判されない社会で生きる権利」も持っていると彼女は書く。
現状を変える手段としてチェンバーズが提案するのが、無法地帯になりやすいD2C型美容企業とその広告の規制強化。セレブの修整した体だけでなく障害のある体や肥満体も見せる「視覚イメージの多様化」も、有効だという。
こうした試みの先には、容姿が「自信」と「恥」の二元論に縛られない社会が垣間見える。そんな社会が実現すれば、私たちは自然体で存在し、容姿以外から自己肯定感を得ることができるだろう。
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