顔の「お直し」で人は本当に幸せになれるのか?
Plump Lips and Wellness
このデータはさまざまな解釈が可能だ。美容整形を求める人は自己肯定感の問題を抱えていないと、捉えることもできる。ローゼンバーグ自尊感情尺度において被験者が施術前から24.7点(30点満点)という高い平均値を出していたことは、注目に値する。
あるいはメスを使わない施術も含め、整形は極めて個人的でありながら社会的・商業的影響も免れないボディーイメージに作用するとも解釈できる。
論文によれば、ボディーイメージは施術への期待度に左右された。劇的な若返り効果を期待した人は失望し、そこまで期待しなかった人は最終的な満足度が高かった。
自己肯定感とボディーイメージ、すなわち「自分に対する自信」と「外見に対する自信」を切り離して調べた点で、この研究は示唆に富む。外見を変えれば外見への自信は高まるかもしれないが、全体的な幸福感は必ずしも高まらない。高まった場合も、因果関係の連鎖は複雑だ。
「外見=人格」の風潮
美容整形で内面も変えられるという発想は現代的だと、哲学者のヘザー・ウィドウズは『完璧な私/倫理的理想としての美』(プリンストン大学出版局刊)で指摘した。
19世紀の人々は短気を直したい、信仰を深めたいといった向上心を日記に書いた。ところが現代人は男女共に、より滑らかな肌や細い体など外見の向上を重視する。
過去1世紀のある時点で、外見は事実上人格になったとウィドウズは書く。つまり見た目の改善は今や道徳的義務であり、重大事であり、自分に備わった善良さを他者に伝える手段なのだ。
だが周知のとおり、「ナイスボディー」のハードルは恐ろしく高い。「外見=人格」という考え方は生活の隅々に浸透し、人はよき社会人、よき配偶者、よき親であるには美しくなければいけないというプレッシャーを感じている。
これは個人の責任ではない。モノとサービスとイメージが絡み合ったシステムが、そう仕向けているのだ。
「美容の力で補える自信は、美の基準によって奪われた自信のみだ」と美容ライターのジェシカ・デフィーノは言う。基準を決めるのは、主に美容製品を売る人間と企業である。
薄い唇に自信がない人は、プチ整形で唇をふっくらさせることで自信が持てるかもしれない。だがそれはそもそも薄い唇が、社会で恥ずかしいものとされているからだ。