「パパ活」はドイツでは通用しない 若いだけで女子をもてはやす日本の不思議
日本人は「曖昧なもの」が好き
「日本人はこう」「ドイツ人はこう」と一般化することはできません。それでも考え方に傾向はあるように思います。例えば日本人の恋愛は、白黒をハッキリさせることを必ずしも好まず、「曖昧さ」を楽しんでいることが多いように感じます。
銀座のクラブやキャバクラは、まさに男性がその「曖昧さ」を楽しむ場であるといってよいでしょう。ホステスさんに会うにはお金が発生するため恋人とは言えない。けれど、恋人になれない可能性もなくはない......といった具合です。
ドイツを含む欧州の男性は、「性的なこと」がないと水商売の女性にお金を使う価値がないと考えます。若くてきれいな女性とお酒を飲みながら会話を楽しむといった「曖昧さを楽しむ文化」はドイツにはありません。そういう意味で欧州の男性は非常にドライだといえるでしょう。
そのため欧州の男性は、銀座のクラブやキャバクラへの誤解が多くあります。「席に座っただけで何万円も金銭が発生するのなら、会話以外の『それ以上のこと』をしているに違いない」と早とちりしがちなのです。
「若い女性はそれだけで価値がある」という感覚が薄い。そのため若い女性と食事をするため"だけ"に何万円も使う、日本人の感覚が信じられないわけです。まあこれはドイツの男性がよくいえば節約家、悪くいえばケチな人が多いこととも関係していますが。
ドイツ人は「片思いはミジメ」とバッサリ
曖昧さと言えば、日本では「片思い」をテーマにした歌が多くあります。「片思い」が一つの恋愛のジャンルになっている気がします。片思いというとなんだか切ない。相手を想っているのに気持ちを伝えられない――。そんなもどかしい気持ちは日本人の間ではよく話題になります。
曖昧なものが好きというか、不完全なものでもその過程を楽しもうとする文化があります。
一方、ドイツで恋愛の過程が話題になることはあまりありません。「片思い」はとてもミジメなものとして語られます。「気持ちが相手に伝わっていないのなら、それは恋ではない」「両想いではない恋は恋ではない」とばかりにハッピーな恋にスポットが当たりがちです。白黒ハッキリさせたがる文化がここでもあらわになっているのかもしれません。
パパ活は需要と供給の問題
パパ活は「お金を払ってでも、若い女性と食事や会話をしたい男性」と、「お小遣いのためなら自分とは世界観の違う年上の男性と出かけることもいとわない女性」の「需要と供給」がないと成り立ちません。そう考えると欧州にパパ活が話題にならないのは不思議なことではありません。
これは前述のような「男性の考え方の違い」だけが要因ではありません。欧州の女性が化粧品やブランドにあまりお金をかけないこと、ドイツに関しては大学の多くが国立であるため学費がほとんどかからない、といったその国の事情も深く関係しています。
かつて心理学者の小倉千加子さんは『結婚の条件』(朝日文庫)で、「結婚とは『カネ』と『カオ』の交換であり、女性は自分の『カオ』を棚に上げて『カネ』を求め、男性は自分の『カネ』を棚に上げて『カオ』を求めている」と記しました。
現在のパパ活も「男性のカネと女性のカオや若さの交換」がベースにあるのでしょう。
先ほど「欧州の男性は非常にドライ」と書きましたが、改めて考えてみるとヨーロッパの人がドライなのか、日本人がドライなのか、ちょっとよく分からなくなってきました。
サンドラ・ヘフェリン
著述家・コラムニスト
ドイツ・ミュンヘン出身。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「ハーフ」にまつわる問題に興味を持ち、「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ「ハーフを考えよう!」 著書に『ハーフが美人なんて妄想ですから‼』(中公新書ラクレ)、『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)、『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』(中央公論新社)など。