拍手と共に失笑も買った「原爆の父」...その「複雑な」人間像は、映画『オッペンハイマー』でどう描かれたか?
A Mind-Blowing Tale
一方で、オッペンハイマーはマンハッタン計画の成果を熱烈に擁護した。広島のニュースを見たチームのメンバーを前に、日本を痛い目に遭わせることには成功したが、ドイツへの投下に間に合わなかったのは残念だと演説し、拍手と共に失笑を買いもした。
1942年にマンハッタン計画を始動させたのは当時のフランクリン・ルーズベルト大統領だ。著名な2人の物理学者、アルバート・アインシュタインとレオ・シラードが、ドイツで核開発計画が進んでおり、先を越されたら戦争に負けると大統領宛ての書簡で訴えたことがきっかけだった。
水爆反対の複雑な事情
ドイツは核開発に成功する前に45年5月に降伏。そこでルーズベルトの死後に大統領に就任したトルーマンは日本への投下を決断した。
シラードも含め、マンハッタン計画に加わった研究者の一部は、核爆弾をまず無人島に投下してその威力を見せつけ、日本に降伏を迫るようトルーマンに請願した。
オッペンハイマーはこの請願書に署名しないよう部下たちにクギを刺した。こうした事柄は政治家に任せるべきだし、原爆を都市に投下しなければ日本は降伏せず、米軍は日本本土への侵攻作戦で多数の犠牲者を出すことになるというのがその理由だ(後者は当時の公式見解で、その当否については今も議論が続いている)。
原子爆弾が何十万人もの市民にもたらした惨劇の映像を目の当たりにしたせいか、オッペンハイマーは戦後、鬱屈としていた。だがソ連との戦争勃発を予見した多くの軍人や一部の科学者は、原爆の1000倍の威力を持つ水素爆弾の製造を推し進めた。
オッペンハイマーはこの計画に反対したが、それは道義的な理由のためだけではなかった。彼は当初、水爆は実現不可能と考えていたが、その後、可能であることが数字で示されると抵抗をやめ、開発をやめるには「技術的に素晴らし」すぎると認めた。(有名なせりふだが、映画では使われていない)。
それでも水爆に否定的だったのは、水爆によって広島型の原爆に投入される予算が削られるのを懸念したためだ。彼はソ連が西ヨーロッパに侵攻した場合、戦場で使う兵器として広島型原爆の製造を継続すべきだと考えていた。