拍手と共に失笑も買った「原爆の父」...その「複雑な」人間像は、映画『オッペンハイマー』でどう描かれたか?
A Mind-Blowing Tale
原爆よりもはるかに威力のある水素爆弾の製造に反対し、全ての大量破壊兵器を国際社会の管理下に置くよう呼びかけた。
そのため核兵器開発の急先鋒だった人物の怒りを買い、冷戦時代の初期に荒れ狂った「赤狩り」のターゲットとなり、ソ連に機密情報を流した疑いで国家機密の取り扱い資格を剥奪されるに至った。
罪悪感と正当化が交錯
とはいえ、オッペンハイマーを「ソ連のスパイ」と決め付けるのは、彼を「平和を愛する殉教者」に仕立てることに劣らずバカげている。
ノーラン監督はいずれの罠にも陥らず、彼の複雑な人となりを──科学の力に魅せられつつ、それがもたらす地獄図を目にして罪悪感にさいなまれた男の紆余曲折の軌跡を描き出す。
彼は科学者として独立した立場を貫こうとしたが、権力に仕えることは拒まなかった。自分の信念にはこだわったが、ほかの事柄にはたいがいどっちつかずの態度を取った。
核開発の中心地となったニューメキシコ州ロスアラモスの南に位置する砂漠で最初の核実験を見守った彼は(映画で描かれるように)「今や私は死となり、世界を破壊する者となった」というヒンドゥー教の聖典『バガバッド・ギーター』の一節を想起した。
自身が開発を率いた核爆弾が広島と長崎を灰塵に帰した後、ハリー・トルーマン米大統領と会談し、「私の手は血塗られています」と言ったのも事実だ。
原爆投下を躊躇なく決断したトルーマンが側近に「あの泣き虫を二度とここに来させるな」と言ったのも事実である(ただし、映画で描かれたように、オッペンハイマーに聞こえるようには言わなかったが)。