タイパ重視の時代、「映画を早送りで観る」人を否定すべきではない
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<若者たちが「倍速視聴」や「10秒飛ばし」を行っていることは驚きだが、もはや不思議ではない。彼らの行動には、3つの背景がある>
特定のYouTubeチャンネルを飛ばし飛ばし、あるいは再生速度を早めに設定して観ることは、私にもある。
ただし、それはあくまでも「際立ったストーリー性があるわけではなく、無駄に長い」コンテンツの場合だ。
さすがに映画の場合は、たとえそれがシンプルなストーリーであったとしても、1.5倍速で観るような気にはなれない。なんとなく、申し訳ないような気がしてしまうからである。
10秒間の沈黙シーンには、10秒間の沈黙という演出意図がある。そこで生じる気まずさ、緊張感、俳優の考えあぐねた表情、それら全部が、作り手の意図するものだ。そこには9秒でも11秒でもなく、10秒でなければならない必然性がある(と信じたい)。(「序章 大いなる違和感」より)
まったく同感だ。
しかし、『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(稲田豊史・著、光文社新書)を読む限り、それは前時代的な発想でもあるようだ。なにしろ「倍速にして、会話がないシーンや風景描写は飛ばしながら観る」という手段が、今や珍しいものではないというのである。
なぜ、そのようなことになっているのか。この点については、3つの背景があると著者は分析している。
まずは、作品数の多さだ。レンタルしなければ映画を観られないというのは昔の話。今やNetflixやAmazonプライム・ビデオなどの定額制動画配信サービスを利用すれば、月額数百円から千数百円であらゆるコンテンツを観ることができる。
それらに、テレビの地上波、BS、CSなどの放送メディア、YouTubeなどの無料動画配信メディアも加わるのだから、明らかに情報過多だ。
個人的にテレビは特定の番組しか観ないが、それでも"録画しっぱなし"の番組は雪だるま式に増え続けている。
動画配信サービスはNetflixとAmazonプライム・ビデオを利用しており、そちらはそちらで観ている途中のシリーズから今後観たいものまで多数。加えてYouTubeにも、毎回観ているコンテンツがある。
私はどちらかといえば「情報弱者」の部類だと思うのだが、そんな人間でもこの状態。だとすれば、若い世代が"コンテンツに追われる"ような状態になったとしても不思議ではないだろう。
それを解決してくれるのが倍速視聴だ。
主に10~20代前半の若者の間で、倍速視聴は以前から当たり前だった。地上波ドラマを「忙しいし、友達の間の話題についていきたいだけなので、録画して倍速で観る」「内容さえわかればいいからざっと観て、細かいところはまとめサイトやWikipediaで補足する」。そんな感じだ。(「序章 大いなる違和感」より)