圧倒的な謎、東京上空に現れた「巨大な顔」の舞台裏──「目[mé]」とはどんなアーティストか?
16年のさいたまトリエンナーレでは、自然の景色の延長線上に精巧な鏡の池をつくり、観客に裸足で表面を歩かせて、境界認識の危うさを実感させた。
19年、千葉市美術館での個展『非常にはっきりとわからない』では、設営途中のような会場の「状況」をインスタレーション作品として展開、鑑賞の意味や観客の主体性を揺さぶった。展示を観た感想は実に人それぞれで、ものを見る行為自体のスリルと中毒性とを内包する。ともすれば「わからない」と難解に捉えられてしまう表現を、彼らはどうコントロールしているのだろう。荒神は言う。
「自分たちも簡単にわかった気にはなりたくないし、毎回、解決できるかできないかぎりぎりのところまで、テーマを追い込むんです。作者だけが答えを知っているのではなく、鑑賞者のほうが作品を的確に説明できることもあるはず。そもそも、"なぜ?"という圧倒的な謎が世界に起きるからこそ、生きている実感があるのではないか。それをよく観察して、どう?と問いかけるように作品を存在させることができれば」
今夏に物議を醸した『まさゆめ』はアート界の外でも広くニュースとなり、世間に晒された経験となった。
「もっと世の中に出ていっていいと思う。私たちが世界に存在していることの謎やその感覚を、ある意味の人類の事件として届け続けたいです」と、荒神はこの先を見据える。次に彼らが世の中に向けてどんな謎を可視化するのか、注目したい。