ジュリア・ロバーツ、「自分探しの旅」に出る
アラフォー女性の傷心旅行記を映画化した新作『食べて、祈って、恋をして』は、自分を飾る作り物っぽさで一杯
恋に破れて ロバーツ演じるジャーナリストは1年分の原稿料を前払いでもらえる共感しにくい女性
「真実を語れ、真実を語れ、真実を語れ」。エリザベス・ギルバートの世界的ベストセラー『食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書』(邦訳:武田ランダムハウスジャパン)の冒頭には、そんな引用文が記されている。
そして始まる自叙伝には、ギルバートの実体験が詰まっている。離婚と深刻な鬱を経験した女性ジャーナリストが、旅行記を出版する契約に後押しされてイタリアとインド、インドネシアを1年かけて旅し、新しい自分を発見する。
砕けた文体でとにかく読みやすい本だが、なぜか作り話っぽさが垣間見える。ギルバートは自分のあふれんばかりの魅力を巧みにアピールする。弱みをさらけ出すタイミングも、下品なジョークを飛ばすタイミングも、男をその気にさせる笑顔のような文章を繰り出すタイミングもお手のもの。でも、そのせいで、この回想録が計算された作り話に聞こえてしまうのも事実だ。
一言で言えば、ギルバートはジュリア・ロバーツの作家版。ロバートもアピール上手な一方、なぜか演技が作りものっぽい女優だから、ライアン・マーフィー監督(テレビドラマ『Nip/Tuck』『Glee』)による映画化は、少なくとも女優選びという面では正しかったわけだ(日本公開は9月17日)。
「食べて」のパートはとにかく楽しい
ロバーツほど巧みに喜びを表現できる女優はいない。おかげで映画『食べて、祈って、恋をして』の「食べて」のパートは、「祈って」や「恋をして」のパート以上に楽しい仕上がりだ。ロバート演じるリズはイタリア滞在中にパスタを食べ過ぎ、デニムのファスナーが上がらなくなる。
ただし、原作を読んでいない観客にとっては、そもそもなぜリズがローマにやって来たのか理解しにくい。夫(ビリー・クラダップ)と離婚し、年下の若手俳優(ジェームズ・フランコ)との恋も破局したという経緯が、大急ぎで語られるだけだ(ちなみに、この映画に登場する男性陣はそろってハンサムで魅力的で、しかもリズに惚れ込む)。観客はリズがどん底を味わったことを知っているが、それはその過程をスクリーンで追体験したからではなく、リズが編集者のデリア(ビオラ・デービス)に「どん底を味わった」と話したからだ。
書籍の編集者が皆、デリアのように太っ腹なら、作家に処方される抗鬱薬の量も減るかもしれない。デリアは悩み苦しむリズのため、1年間の世界旅行の費用を原稿料として前払いする。
原作でも映画でも、この契約に至る過程がはしょられすぎている。おいしい契約に飛びつくのは恥ずかしいことではない。長期旅行を可能にした経済的背景がもっと明確に説明されていれば、ギルバートに対する観客の嫉妬も和らいだはずだ。
瞑想仲間との関係に漂う嘘っぽさ
イタリアに到着したリズは、イタリア語のレッスンを受け、おしゃれをして噴水の周りを歩き、国際色豊かな友人たちと美味しい食事を楽しむ。私が「食べて」のパートを特に気に入っているのは、ベタな旅行記のようだから。観客はイタリアでぶらぶら過ごすのは本当に楽しそうだという事実を受け入れるだけでいい。
一方、精神的な癒しを求めるリズがインドのアシュラムに滞在する「祈って」のパートは、観客受けしにくい。他人が瞑想にふけるシーンなんて、あまり面白いものではない。ギルバートが描写した内面の旅は、文字で読んでも退屈なのだから、映画ではなおさらつまらない。