「3分は長い」時間管理が上手な人に特有のマインドとは?
無洗米の奇跡──どうしても苦手な作業に気づく
私には苦手がたくさんある。特に米を研ぐのが苦手だ。米を炊こうと考えてから、平均で8時間ほどかかる。作業的には簡単なことだが、いざ米を量ってそして水で洗って......と考えるだけで、面倒で、常に作業は後回しになり、米は一向に炊き上がらない。
朝、炊こうと思った米は、夕方、子どもたちが帰宅する頃、ようやく炊き上がる。仕事中はなぜか米を炊く気が起きない。1ミリも起きない。こんなことのくり返しだった。
無洗米を買えばいいじゃないかと何度言われたかわからない。そう言われるたびに、軽くムッとしながら、無洗米ってそんなにおいしくないんじゃないの? と言いわけを口にしてきた。
どこで仕入れた情報なのかは記憶にないが、私のなかで、無洗米=サボり、普通の精米=おいしいという位置づけが確立されたまま、数十年も経過していた。無洗米で満足できるのであればとっくに買っていると、意地になって無洗米を選ばない日々が続いた。
それより何より、米を炊きたくない理由は、「そこ」じゃない。米を研ぐという作業「だけ」が嫌というわけではない。自分が一生懸命やっている仕事(翻訳や執筆)を中断して、毎日、必ずやらなくてはならない作業があると思うだけで、心が重くなる......実はそれが、私が米を研ぐという行為から逃げる理由なのだと、誰かに理解してほしかった。
米ぐらいなんだと軽々しく言ってほしくないのだ。だって、もう何十年も続いている。その炊き上がった米も、「いらん」と簡単に拒絶されることがある。私の家事への思いはとても複雑だ。
そんな私を変えたのは、誕生日にいただいた無洗米がきっかけだった。ちゃっかりもらっているのだった。「誕プレ? そんなものいらないから、米をくれ」とどこかで書いていたらしい。なんとかわいげのない中年だろう。自分でも悲しくなってくる。
そんなひねくれた発言を記憶してくれていた編集者が、それだったらと日本各地のおいしい無洗米をセットで贈ってくれたのだ。箱から醸し出されていた高級品のオーラに飛び上がらんばかりに喜んだ。
絶対においしいわ、これ! だって彼女が選んでくれたんだもの!
そして前のめり気味に炊いてみたら、びっくりの旨さだった。米、ぴかぴかじゃん! そして何より、普通の精米よりずっと楽に炊けた。水を入れて炊飯器にセットするだけで、最高のパフォーマンスを見せてくれる。何を怒り、迷っていたのだ。
頑なな自分を認められたら、道がひらける
自分の生活を振り返ってみると、こんなわけのわからないこだわりや誤解で損をしている場面や、時間を無駄にしている場面が多いような気がする。
自分の人生における無駄な場面の代表的なものが、この無洗米という存在の頑なな回避だったが、みなさんの生活のなかにもひとつぐらいは、こんな頑なさが存在するのではないだろうか。私は自分の胸に刻んでいる。