最新記事

寿司の国に漂う不安の冷気

マグロが消える日

絶滅危惧種指定で食べられなくなる?
海の資源激減を招いた「犯人」は

2010.03.11

ニューストピックス

寿司の国に漂う不安の冷気

食卓の魚は本当に安全か——世界で水産物輸入量トップの日本に広がる疑念と誤解

2010年3月11日(木)12時05分
佐伯直美、森田優介(東京) アレグザンドラ・セノ(香港) ジェニファー・バレット(ニューヨーク) ウィリアム・アンダーヒル(ロンドン)

 マグロ刺し身、インド洋----群馬県に住む主婦、前澤捷子はパッケージのそんな表示を見るたびに世界地図を思い浮かべる。インド洋の位置を思い出し、「あのあたりならそれほど汚染されていないかしら、と考えたりする」。

 新潟県柏崎市で育った前澤は、昔から大の魚好き。子供が独立して夫婦2人になってからは、週4〜5回は魚を食べるようになった。

 そんな前澤にとって気になるのは、2000年に原産地の表示が義務づけられて以来、目につくようになった輸入魚の存在。国名や、養殖かどうかは確認するが、後は友人や雑誌から得た情報が頼りだ。薬を山ほど使うとテレビで言っていたアジアの養殖魚はなるべく買わない。カナダやヨーロッパ産は、なんとなく安心な気がする。「今は国産も信用できないけど、外国産はもっと判断がつかない」

 前澤は、シーフード大国の迷える消費者の一人にすぎない。中国に次いで世界2位の水産物消費量を誇る日本では、水産業の工業化やグローバル化が急速に進むなかで、「自分たちの食べている魚は本当に安全なのか」という不安が高まっている。

 02年末に行われたある世論調査では、食の安全に一定の不安感があると答えた人が68%にのぼった。背景には、牛海綿状脳症(BSE)や雪印乳業の食中毒事件で、政府や企業の安全管理に対する不信感が強まっていることがある。

 ただ、魚をめぐる不安にはさまざまな誤解も含まれている。明確な判断基準がなく、「途上国の魚は薬漬け」「天然は安心」といった偏ったイメージが独り歩きする。トレーサビリティー(生産と流通の過程を追跡できる仕組み)が確立されていない点も問題だ。「消費者が安全な水産物を食べたいと思っても情報がない」と、東京水産大学の多屋勝雄教授は言う。

 日本の国民1人当たりの水産物消費量は年間約65キロで、世界平均の4倍以上。持ち帰り寿司など「中食」市場や回転寿司の成長で、刺し身や寿司も日常の一部になった。学習研究社が昨年行った小学生の好きな食べ物の調査では、女子は5学年、男子は4学年で寿司が1位だった。

マグロに蓄積するメチル水銀

 東京の広告制作会社で働く大山靖文(32)は、週1度は寿司や刺し身を食べる魚党。自宅で、見よう見まねで寿司を握ったりもする。ただ寿司を前にすると、いつも思う。「輸入が止まったら、この寿司ネタはどれだけ残るんだろう」

 単純に考えれば、半分近くが消える。国連食糧農業機関(FAO)によれば、2000年の日本の水産物輸入量は354万トンで世界一。食用魚介類の消費量に占める輸入の割合は、91年の35%から10年間で50%にまで増加した。

 日本人が愛してやまないマグロも例外ではない。世界の漁獲高の約3割を消費する日本は、その半分以上を輸入に頼っている。

 マグロやサメなどの大型魚は、体内に蓄積されるメチル水銀の濃度が高い。妊婦が多く摂取すると胎児に影響を及ぼすおそれもある。厚生労働省は6月、妊婦または妊娠の可能性がある女性に対し、メチル水銀濃度が比較的高いキンメダイとメカジキを食べるのは週2回までにするよう呼びかけた。

 しかし濃度がもっと高かったクロマグロやメバチマグロ、インドマグロは、1回の摂取量が少ないという理由で対象外になった。東京水産大学地域共同研究センターの崎浦利之客員教授は、国民が「パニックになるからかもしれない」と指摘する。

 摂取許容量そのものを疑問視する声もある。厚生労働省が設定する妊婦の許容量は1日当たり15マイクログラム以下。しかし米環境保護庁(EPA)は5マイクログラムとしており、6月にはFAOとWHO(世界保健機関)の合同専門家会議も日本より低い値に引き下げた。

 いけすで太らせてから出荷する畜養マグロも、絶対に安全とは言いきれない。スペインなど地中海沿岸国では、90年代末からマグロの畜養が盛んになり、今では9割以上が日本へ輸出されるという。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏とゼレンスキー氏が「非常に生産的な」協議

ワールド

ローマ教皇の葬儀、20万人が最後の別れ トランプ氏

ビジネス

豊田織機が非上場化を検討、トヨタやグループ企業が出

ビジネス

日産、武漢工場の生産25年度中にも終了 中国事業の
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口の中」を公開した女性、命を救ったものとは?
  • 3
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 4
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 5
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 6
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 7
    足の爪に発見した「異変」、実は「癌」だった...怪我…
  • 8
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 9
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 10
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 3
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 4
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?.…
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 8
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 9
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 10
    【クイズ】世界で最もヒットした「日本のアニメ映画…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中