習近平vs李克強の権力闘争が始まった
李克強の堪忍袋が切れた原因
しかし、李克強の地方視察を完全に黙殺する習近平サイドのやり方はあまりにも乱暴であって拙い。共産党党内からも民間からも大きな批判が起き、逆に支持と同情が李克強の方に集まりかねない。
こうした中、23日夜になってようやく、CCTVと新華社通信がこの数日前の「旧聞」を報道した。そして翌日の24日の人民日報でも、李の重慶視察のニュースは一面を飾った。党内と民間の李首相支持・同情の声に押されて習近平サイドの「李克強隠し」は完全に失敗し、李の奇襲作戦はまたもや大勝利を収めたのである。
以上は、今年の5月以来、中国の李克強首相が習近平国家主席に対して盛んに売った「ケンカ」の一部始終であるが、この背景には当然、習近平と李克強との長年の確執とライバル意識があっただろう。
2007年の党大会で胡錦濤前主席の後継者を決める時、胡は自らの率いる「共青団派」のホープで子飼いの李克強を自分の後継者に推したかった。これに対し、当時絶対な影響力を持った江沢民一派はその対抗馬として習近平を推した。結果的には江沢民派の勝利となって習は次期最高指導者の座を約束され、2012年の党大会では首尾よく共産党総書記に選出され翌年には国家主席になった。一方、李克強は最高指導者になるチャンスを奪われ、習の下の首相ポストに甘んじることとなった。
このように両者は最初から確執があってライバル意識が強く、信頼関係が全くない。政権が始まった後、習は独裁志向を強め、外交や経済運営などの決定権を首相の李克強からことごと取り上げ、政権内でいわば「李克強封殺」を進めた。
一方の李は習政権スタート以来のこの8年、ずっと隠忍自重して習に逆らわず、不本意な立場で首相職を淡々とこなしてきた。それが今年に入ってから突如、君子豹変して習近平にケンカを売るようになった。豹変のきっかけは新型肺炎の感染拡大だろう。このコラムでも以前に取り上げたが、1月下旬に武漢が都市封鎖された直後、中央に設置された「疫病対策指導小組(対策本部)」の組長(対策本部長)に国家主席の習近平は就任せず、李克強に押し付けた。
【参考記事】習近平「新型肺炎対策」の責任逃れと権謀術数
李克強は「危急存亡の秋」にもっとも困難な仕事を引き受け、感染拡大中の武漢に入って危機対応に当たった。しかしその後、武漢の感染拡大が治まりかけた時になってようやく、習は「疫病対策はずっと全て自分の直接指揮下にあった」と宣言し、李克強の手柄を横取りしたのである。
おそらく李克強はこれで堪忍袋の緒が切れ、隠忍自重をやめて習近平と戦う姿勢に転じたのだろう。今の習近平政権が内政と外交の両面でかなりの行き詰まりを見せ、習に取って代わる指導者を求める思いが党内と民間に広がり始めていることも李の豹変の背後にあろう。
いずれにしても、習近平と李克強という共産党ナンバー1とナンバー2の権力闘争の火蓋が切って落とされたことは事実である。今後、この2人の戦いがどう展開していくのかは、中国の政治と外交を大きく左右する。引き続き注目していく必要があろう。
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