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中曽根時代の日本が「アメリカ・ファースト」のトランプを作った
奥多摩の日の出山荘でレーガンをもてなす中曽根首相(1983年) KURITA KAKU-GAMMA-RAPHO/GETTY IMAGES
<アメリカが恐れた日本発展の立役者──巧みな外交術とレーガンとの個人的友情が、保護主義を掲げる現トランプ大統領の世界観を形成していた>
中曽根康弘は日本の首相を約5年間務め、国営企業の民営化を果たしたことでよく知られている。曽根政権時代の日本は経済成長を続け、外交でも世界で存在感を放った。
当時の日本経済の快進撃は、いずれアメリカを凌駕して世界を支配するのではないかという恐れを生み出した。「日本は常に勝ち続けるマージャンの打ち手のようなものだ。他の連中は遅かれ早かれ、もうあいつとは一緒にやりたくないと思うだろう」と、中曽根が語ったのは有名な話だ。
実際、中曽根時代の日本は後世にも影響を及ぼした。アメリカの孤立主義と「アメリカ・ファースト」への退行現象を招いたそもそもの原因だった可能性が高いからだ。中曽根首相退陣のちょうど1年後、現在のトランプ米大統領は映画『カサブランカ』の撮影に使われたピアノのオークションで日本人コレクターに競り負けた。その直後にトランプはテレビで日本に15~20%の関税をかけるべきだと主張。アメリカは「食い物にされて」いる、「自分を守る」必要があると説いた。
つまり、1980年代の日本はトランプ流の世界観の形成に重要な役割を果たしたというわけだ。貿易政策担当のある側近は、「1980年代からずっと(トランプは)腹を立ててきた」と語り、当時のトランプが日本に感じた脅威が関税と保護主義を好む手法の発端だったと指摘する。米ダートマス大学のある教授も、当時の日本の台頭がトランプの国境や通商規制についての基本的な考え方、ライバル国に対するタフで恫喝的な交渉姿勢につながったと論じている。
大国にふさわしい役割拡大を
中曽根は当時のレーガン米大統領ととびきり良好な関係を築き、信じ難いほどうまく日本の台頭を導いた。中曽根は30年先の大統領の怒りに火を付けたが、現職大統領への対応はほぼ完璧だった。
レーガンは中曽根を信頼していた。特に冷戦真っただ中の当時、ソ連に対するレーガンの強硬姿勢を中曽根が強力に支持したことは心強かった。
中曽根の巧みな外交術とレーガンとの個人的友情は、アメリカとの衝突回避に役立った。中曽根は思想的には強硬なナショナリストであり、対米貿易黒字は拡大し続けていたが、アメリカの怒りを買わずに済んだ。現在では到底不可能な偉業だろう。
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